【ゲームレビュー】『Orwell』:「思考」を傍受せよ

作品名:Orwell
開発元:Osmotic Studios
販売元:Surprise Attack
発売年:2016年
PC(Steam

昨日、ある疑問が私の頭をよぎった。もし現代のテクノロジーを通じたヒト相互のつながり(interconnectedness)の増加が、私たちの社会にとって集合的な記憶や頭脳としての役割をますます果たすようになっており、そこにその一切のビットストリームを監視することのできる機関が存在するならば、いかにして思考がまだ自由であることができるのだろうか? 知識を手放さないために、私たちが多大な心裡留保(mental reservation)のもとにおいてのみ意思疎通する、というのは、なさそうな話だ。それが最終的に意味することは、私たちは考えることをやめる、ということではないのか?

 傑作である。架空のオンライン監視プログラム「Orwell」(オーウェル)に調査官としてログインして爆弾テロ事件の情報収集にあたるエピソード形式のポイント&クリック・アドベンチャー。

 架空の社会を舞台としているが、テロ対策、共謀罪、ポピュリズム刑事政策(注1)、ネットを通じて瞬く間にクラウドソーシングされる憎悪など、監視技術とプライバシーをめぐる問いにとどまらない、私たちが現にそこに生きる政治的・社会的な地平を複眼的に描き出している。

(注1)「ポピュリズム刑事政策」とは、統計的な事実や専門的な研究成果を無視して、個人的体験や実感、常識に訴えることで世論を背景に推進される監視強化や厳罰化を指す用語。浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』(光文社新書、2009年)が、そのグローバルな潮流と日本での展開とを論じている。

監視プログラム「Orwell」、その奇妙な特性

 《国家》(The Nation)の都市、ボントン(Bonton)で「自由の広場」(Freedom Plaza)に仕掛けられた爆弾が爆発、その場に居合わせた3人が死亡、「自由の記念碑」(Freedom Memorial)が破壊される。事件の数時間前には警察署に「思考は自由である」(Die Gedanken sind frei)というドイツ語の歌を引用した犯行声明らしき手紙が届けられていた。プレイヤーは国家安全保障の要として極秘に試験運用が開始されたオンライン監視プログラム「Orwell」に新たにサインインした調査官となり、アドバイザーの要求に従って、現場の監視カメラに映っていた逮捕記録のある女性に対する調査を開始する。監視の対象が彼女の交友関係へと広がっていくなか、調査はやがて「思考」(Thought)と名乗るグループにまつわる人々についての情報収集へと進展していく。

 ゲームプレイはいたって単純。プレイヤーは「Orwell」の疑似ブラウザ的な画面上で、画面の右から左へと収集されるべき情報をマウスでドラッグしてデータベースにドロップしていく。個人のさまざまなオンライン・アカウントから、傍受された通信、さらにはPCやスマートフォンのハードディスク内にいたるまで自在に侵入可能な「Orwell」を駆使して、テキストや画像を拾い集めていくのだ。


左が「Orwell」のデータベース画面、右ウィンドウ内は作中の架空のSNS「Timelines」

 プレイヤーは(ゲーム内の疑似的な)アカウント作成から、ゲームの展開そのものを通して「Orwell」というプログラムの全貌を知っていくことになる。その細部についてはネタバレとなりそうなので言及を控えるが、プレイヤーは1話目から、「Orwell」の奇妙な特性に気がつくだろう。

 たとえば、まず、アドバイザー/調査官という分業の存在。「Orwell」の基本的な仕組みは、次のようなものだ。アドバイザーがある調査対象に対する監視の認可を下すと、モニターの向こうにいる調査官であるプレイヤーに調査対象に関わるデータの塊(datachunk)へのアクセス権限がその都度与えられ、プレイヤーはそこから関連があると判断した情報を抽出して「Orwell」のデータベースにアップロードする。すると、その抽出されたデータをモニターの向こうで見たアドバイザーがプレイヤーに対して再びコメントや指示を与える。
 アドバイザーは調査官の作業過程を直接見ることができず、調査官はアドバイザーに対して自身の意見を述べることはできない。調査官からアドバイザーに送ることができるのは、調査対象に関する情報の断片のみであり、それに対してアドバイザーから一方通行のコメントが調査官の作業画面に通知されるのである。両者のあいだに直接のコミュニケーションは存在しない。プレイヤーは自らを、非人間的なシステムのなかにある「人的要因」(human element)として意識させられるだろう(と同時に、忙しい作業の最中に、余計なコメントをいちいち挟んでくる上司に、殺意を覚え、使い捨ての「人的資源」としてそこにいる自分も痛感させられる)。

 あるいは、調査官の判断により一旦データベースにアップロードされた情報は「真理」とされる、という不可解な仕組み。抽出候補となる情報は通常青色でハイライトされるが、データチャンクのあいだに矛盾する情報が同時に現れた場合、それらは黄色でハイライトされる。そのとき、矛盾する情報の片方をアップロードすると、もう一方は自動的に無効なものとされ、この選択を覆すことは調査官自身にもできない。アドバイザーも「こんなことを真に受けているのか?」と不満を送ってくるが、結果の取り消しはできないらしい。
 だが、「情報が互いに矛盾する」とはどういうことだろうか。もちろん、それらの矛盾のなかには、一方には出勤記録があり、もう一方では「休みをとった」と友人に対して語っている、といった、はっきりとした真偽をめぐるものもある。だが、多くの場合、プレイヤーが迫られるのは、異なるバージョンの真実のあいだの選択であり、その選択が物語の展開を大きく左右していく。ここでも、プレイヤーは「人的要因」として否応なくモニターの向こうで進展していく事態に巻き込まれているのである。

 交友関係やSNS上の投稿を理由にある人物の電話やメールを傍受し、そこから得た情報を次々と監視システムのデータベースに蓄積していく(ある人物に関わる情報を一生にわたって監視データベースのなかに置くことになる)、そんなことが法的に道義的に許されることなのか? しかし、その人物が、次に起こるかもしれない爆弾テロの犯人となにかしら間接的にでも関わりを持っているとしたら?
 誰それの友人・恋人・元恋人といった情報をSNSやメールなどから拾ってアップロードしていくと、「Orwell」は自動的に、収集された人物の情報を陰謀論風の人物相関図へとまとめあげていく。調査対象と通話をしたり調査対象にSNS上で言及されたりした、グループに直接に関係のない家族までが相関図のなかに浮遊し始める。具体的証拠を欠くまま一人の女性から始められた調査は、監視されるべきターゲットのネットワークを作り上げてしまうのである。

すぐそこにある、「オーウェル的」な世界

 小説『一九八四年』でジョージ・オーウェルが描いた全体主義社会を引き合いに使われる「オーウェル的」(Orwellian)という言葉は、皮肉にもその濫用でよく知られている。漠然と「権威主義」「全体主義」などの同義語として無造作に用いられたりするのはまだしもとして、自分の気に入らないものを片っ端から「オーウェル的だ!」と非難するためだけのレッテル貼りの語と化しており、それ自体が、深く考えないための「できあいの言い回し」(ready-made phrase)となっている、というわけである(注2)

 そんなこともあって、『Orwell』というタイトルを最初目にしたとき、「監視社会って怖いね」とか「自由か? 安全か?」みたいな短絡的な問題設定だったらどうしよう、と不安を感じたりもしたが、これは杞憂に過ぎなかった。『Orwell』は、ゲームプレイから物語の展開、登場人物にいたるまでよく考え抜かれた、思考と感情とを揺さぶる本格的なポリティカル・スリラーとなっている。

 「Orwell」を通してのぞき見ることができる《党》(The Party)のウェブサイトの政策紹介のページには、「Orwell」プログラムの発端となった「安全法案」(Safety Bill)と、外国での「平和維持活動」(Peacekeeping Mission)についての解説が載せられている。前者は、次のような一文から始まる。「安全法案とは、《国家》の市民の自由を守ることを究極の目的として作られた、安全にまつわる一群の法律・法令です。」 本作で問題とされているのは、たんに監視されることへの恐怖ではなく、超法規的な国家による監視や処罰が市民自らの「安全」「自由」として語られ、また市民によって受け入れられてしまう、その薄気味悪さなのである。

 加えて、いわゆる「共謀罪」をめぐる問題が明示的に描かれているのも興味深い(注3)。『Orwell』においてプレイヤーは、「思考」というグループがテロ行為に関与している可能性をもとに情報収集・監視を複数の人物に対して広げていくが、その監視・傍受の根拠は、当該の個人が具体的に犯罪を犯したという証拠でも可能性でもなく、SNSからそのままコピペしたような、人物同士のリンクなのだ。中盤、盗聴されている電話のなかで弁護士の男が「安全法案」について次のような解説をする。個人は《国家》に対する脅威の徴候のみをもって起訴され得るし、あるグループへの参加は個々人をリンクし合うため、そのグループが犯罪的意図を持つものであると示唆する証拠が存在すれば、そのメンバー全員を逮捕する根拠となり得る、と。そこでは架空の法概念と思しきものが持ち出されているが、語られているのは、私たちの生きる「テロ対策」をめぐる言語からそれほど遠い世界ではない。

(注2)この点については、TED-Edの小レクチャー「『オーウェル的な』という言葉の本当の意味」(日本語字幕付き)が参考になる。

(注3)「共謀罪」とは、実際に犯罪を行わなくても犯罪の計画への合意によって成立する罪のこと(コトバンク)。日本の刑法では今のところ定められておらず、過去3回法案が提出され廃案となってきたが、2016年8月になって、2020年の東京オリンピックのテロ対策を名目として「テロ等組織犯罪準備罪」という新たな名称での法案提出を与党が検討している、と報じられた(東京新聞ハフィントンポスト)。その設置に賛成するにしろ反対するにしろ、重要なポイントは、「共謀罪」がその目的とされる組織犯罪対策に力を発揮するためには監視や傍受が不可欠である、ということだろう。ジャーナリストの青木理は次のように指摘する。「『犯罪の共謀』は公然の場ではなく、密室や電話などで行われるわけですから、『証拠』をつかむには密室や電話の『謀議』を傍受する必要があります。」

結論

 基本的に似たような画面を眺めつづけるゲームだが、退屈する瞬間がなかった。ゲームプレイ的にも、各話ごとになにか新たな仕掛けが用意されており、最後まで緊張感が持続する。ヴィジュアルとサウンドトラックも素晴らしい。

 遠くない未来とすでにある現実の曖昧な境界線、という意味では、エドワード・スノーデンの内部告発過程を追ったドキュメンタリー映画『シティズンフォー』(2014)、コリイ・ドクトロウの小説『リトル・ブラザー』(2008)とセットでオススメしたい。『Orwell』は、それくらいの力作だ。

 ゲームプレイの根幹は疑似的なウェブや他人のデスクトップを読み漁る作業なので、当たり前だが、英語は必須(聴き取りは不要)。論説からオンライン・チャット的な表現まで、幅のある文体を読む必要がある。後半になるにつれて収集済みの情報の再検討も含めて情報量が膨大となっていくので、斜め読み(skim)に慣れていないと、厳しいだろう。ただ、テキストは洗練されていて、読み応えがある。
 全5回のエピソード形式で、プレイ時間は各話1時間ほど。展開に引き込まれるが、その分だけ緊張感があり、また各話とも嫌な感触を残して終わるので、休憩を挟みながらプレイすることが意図されている印象。というより、実際、「一日の仕事」として各エピソードが構成されており、エピソードを終えたらログオフして次の日にログイン、というプレイスタイルが理想的なのだろう。


Orwell - Keeping An Eye On You (Announcement Trailer)