「トランプ=アルツハイマー病」説の誤り

憶測とジョークと陰謀論のあいだ

 数日前、アメリカの左派系ニュース・サイト AlterNet に、「トランプが、彼の認知能力の衰えをめぐる憶測の広まりを引き起こした4つの瞬間」(Kali Holloway, "4 Times Trump Has Inspired Widespread Speculation About His Cognitive Decline", AlterNet, 2017/07/05)という、クリックベイト感のある記事が載せられていた。7月5日に、飛行機から降りたトランプ大統領が目の前に停められていたリムジンを素通りしてさまよう姿がテレビ・カメラに収められたのをきっかけとして、SNS上の一部で「トランプ=アルツハイマー病」説が再浮上したことを取り上げたものである。

 結論から言うと、これはよくない記事なのだが、それは、調べれば文脈が誤解ないし曲解されていると分かる、いくつかの断片的映像をそのまま断片として紹介しているからだ。「憶測が広まっている」「憶測」と繰り返し前置きしておきながら、結果的に、まさにその憶測を検証なしに束ねて広める役割を進んで果たしてしまっているわけである。ただ、反面教師的には興味深いので、どういう場面がどのような映像を通して取り沙汰されているのか、というケース・スタディとして、以下で「4つの瞬間」を紹介してみたい。私の見るところ、「4つの瞬間」のうち、少なくとも2つは文脈を無視している。

1.外国でのプレス・イベントの最中に歩き去りかけた

瞬間:5月22日のイスラエルのネタニヤフ首相との合同記者会見中、トランプ大統領がネタニヤフ首相を背に会見の場を去ろうとして、握手に戻るようスタッフに促された。

文脈:別のカメラ・アングルから、もう少し長い尺で見てみると、違った印象を受ける(下は、ホワイトハウスによる公開映像)。また実際、各報道も、より正確な文脈をきちんと伝えていた。

 このイスラエル訪問の直前、5月10日のロシア外相・大使との会談中にトランプ大統領がロシア側に対して機密情報を明かしたこと、その機密情報の情報源がイスラエルであったことが報じられており、その問題をめぐるメディアの質問を避けようとしたための行動、と解釈される。実際、ネタニヤフ首相の隣に戻った直後に記者からその質問があり、トランプ大統領は「私はイスラエルの名前は一度も口にしていない。誤報だ」と応じている(イスラエルの名前を出したかどうかなど誰も話題にしておらず、反論になっていないのだが)。

 CNN

月曜日、ネタニヤフの隣に立ったトランプは諜報をめぐる騒動に関する質問から逃げかけた。彼は、握手を交わす前にイスラエル首相の元を歩き去ろうとして、写真撮影を終えるために戻ったのである。

 Vox

起こったのはこういうことだ。ドナルド・トランプとイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは、スケジュールされていた報道を前にした会見の場を後にしようとしていた。室内はすでにおしゃべりで騒がしくなっていた。トランプとネタニヤフは、握手写真のために呼び戻された。報道関係者たちは、いつものようにクスクスと笑ってから、質問を浴びせ続けたが、質問時間は終わっているようだった。ネタニヤフが「諜報協力は素晴らしい!」と大声で叫んだ。

トランプがメモなしの彼自身の見解を述べたのはその時だった。「一言だけ教えておくがね」報道関係者を黙らせるようにして彼が言った。「一言だけ教えておくがね、私は会話の中でイスラエルの名前は一度も口にしなかった。一度もだ」そう彼が話す間、不快感を露わにしたネタニヤフの視線がさまよった。

「みんなは、私がイスラエルの名前を出した、と言っている」トランプが気付かずに続けた。「イスラエルの名前は一度も口にしていないぞ」

だが、トランプが「イスラエル」という言葉を出したとは実際のところ誰も言っていない。報道は、ロシア外相らの大統領執務室への訪問中に、トランプが何気ない口調で機密情報をロシア側と語り合っていた、そして、それはイスラエルから得られたものであると判明した、であるから、イスラエルの許可なしにロシア側に対して明かされるべきものでない、と述べていただけである。

2.大統領令署名のプレス・イベントで署名するのを忘れた

瞬間:3月31日、大統領令に署名するはずだったプレス・イベントで、トランプ大統領はごく簡単に発言を済ませるなり、署名を待たずに立ち去った。一同が困惑気味の表情を見せ、マイク・ペンス副大統領が止めようとしたが、大統領はそのまま部屋を後にした。

文脈CNNのビデオではっきり聞き取れるが、演台を離れたトランプ大統領に向かって記者が質問しているのは、ロシアとの関係をめぐる疑惑を受けて国家安全保障担当補佐官を辞任したマイケル・フリンについてで、署名忘れそのものはともかく、トランプ大統領がそそくさと去ろうとしたのは、ここでもまた、メディアからの質問を避けようとしたため、と解釈でき、また実際、そのように報じられていた。

 The Week

トランプが報道陣への感謝を述べると、一人の記者が、辞任に追い込まれた国家安全保障担当補佐官マイケル・フリンについての質問に乗り出した。フリンは、トランプ陣営とロシアによる選挙介入とのつながりについて議会で証言する引き換え条件として訴追免責を求めて、その要求が拒否されたばかりであった。トランプはフリンについて訊かれたことに明らかな動揺を見せ、ドアの外へと歩き去るかたちで応じた。

3.目の前に座るルディ・ジュリアーニに気が付かなかった

瞬間:1月31日のサイバーセキュリティに関するプレス・イベントで、目の前に座っている元ニューヨーク市長ルディ・ジュリアーニの名前を、サイバーセキュリティ問題の専門家として紹介した直後、「ルディはどこだ?」("Where's Rudy?")と口にして、キョロキョロしている。

文脈:この行動については説明を加えるべき「文脈」はとくに見当たらないが、「ルディ・ジュリアーニのことを『サイバーセキュリティの専門家』と信じていることのほうがよっぽど認知症の徴候だ」という冷ややかな声も寄せられた(indy100)。責任者として名が挙がった直後から、ジュリアーニの運営するサイバーセキュリティを請け負うコンサルティング会社の不明な実態、その公式サイトのお粗末なセキュリティが指摘されていたのである(参考:NewsWeek日本版)。

4.爆撃したばかりの国の名前を間違えた

瞬間:4月12日に公開された Fox Business によるインタビューの中で、トランプ大統領は、同月6日にシリア・アサド政府軍への爆撃に踏み切ったことについて、シリアを間違えて「イラク」と発言した。ミサイル発射の知らせを軍から受けて、会食中だった中国の習近平国家主席に直接通告した瞬間について述べている場面。

トランプ:私はこう言ったんだ、「我々はたった今、イラクに向けて59発のミサイルを発射した」と。
キャスター:シリアに向けて、ですよね?
トランプ:・・・そうだ、「シリアに向けて」だ。

文脈:この有名な一件にも、とくに「文脈」はいらないだろう。ただ、インタビュー全体が問題を含んでいる、とも言われる。例えば、左派系ブログ・サイト Daily Kos のあるブロガーは、次のように注意を促した上で、発言の矛盾、誹謗中傷の繰り返し、といったより具体的な問題点を取り上げている。

覚えておいて欲しい。憲法修正第25条第4節は、大統領が解任されるための特定要因などは定めていない。必要とされるのは、「大統領が職務上の権限と義務を果たすことができない、とする申立書」だけである。

無用の長物としてのアルツハイマー説

 上の Daily Kos の記事で挙げられている矛盾の一つは、膨大な数の要職の任命の遅れをめぐる発言だ。2月末のインタビューでは「(何百というポストを埋めないのは)任命するつもりがないから、必要ないからだ」と述べていたにもかかわらず、この4月のインタビューでは「早く進められないのは、妨害されているからだ」「何百という人たちが待たされている」と早速真逆のことを述べているのである。そして、先日G20での失態に関連して取り上げたように、7月上旬現在も、400近くの要職が任命すらされていない状況が続いている。

 ドナルド・トランプが大統領職の権限と義務を果たせていないのは自明の事実であって、わざわざ彼の頭の中を診断する必要などないのである。アルツハイマー説の真偽はどうでもいいことだ。

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