著作権の消失、ジャンルの誕生
映画、ゲーム、コミックなどに遍在するゾンビ。その人気を可能にしたのは、ジョージ・A・ロメロの創造と、配給会社のミスだった。
kaptainkristian ことクリスチャン・ウィリアムズ氏の動画「『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』:著作権の恐怖」(英語)は、そんなゾンビ・ジャンルの氾濫にまつわる歴史をあざやかに解説している(The Verge の記事より発見)。
Night of the Living Dead - Horrors of Copyright
去年の The Verge のインタビュー記事によると、ウィリアムズ氏は、「『学校で教えられていることはすべてオンラインで利用できる』と気がついてドロップ・アウトした元映画学校生で、この春〔2016年〕に『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』に苛立ちを覚えた後、ビデオ・ブログを始めた」人物だという。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』がパブリックドメイン(=著作権未発生ないし消滅)状態にあることは、Wikipedia 日本語ページでも出典なく言及されているが(2017/09/03アクセス)、その詳細(と言っても、案外単純な話だが)を、私も初めて知ることができた。
ロメロ・ゾンビが共有財産となったワケ
以下、kaptainkristian 氏の解説の概要:
「ゾンビ」というコンセプトは、ハイチのフォークロアに由来しているが、今日流布しているゾンビの原型は、ジョージ・ロメロ監督の1968年の映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に遡る。ロメロ自身も、「『ゾンビ』と言ったら、自分にとっては、カリブの少年、〔1932年の映画『恐怖城 ホワイト・ゾンビ』で〕ベラ・ルゴシのために暗殺を実行する存在で、自分は全く新しい怪物を創造していると思っていた。人肉喰らいに突如変貌した隣人たちで、映画の中でも、『グール』(Ghoul=屍鬼)と呼ばれている」と語っていた。結果的に、この「グール」が新たな「ゾンビ」となったわけだが、この「ゾンビ」がロメロに帰属することはなかった。
その理由は、配給会社が映画のタイトルを、当初予定されていた『Night of the Flesh Eaters』(「人肉喰らいの夜」)から現行の『Night of the Living Dead』(「生ける屍の夜」)に変更した際に生じた著作権表示のミスにある。これは『The Flesh Eaters』(ジャック・カーティス監督、1964年)との混同を避けるための変更で、ロメロも了承したものであったが、タイトルを差し替えた際、配給会社が画面に著作権表示を付け忘れてしまったのである。
当時のアメリカの著作権法(1909年制定)では、著作権表示は、(1)© のシンボル、Copyright の語、または Copr の略記、(2)発表年、(3)権利所有者の名前、を含むことが義務付けられており、これを満たさなかったことで、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は、発表と同時にパブリックドメイン入りしてしまうことになった。1976年の法改正でこれらの要件は廃止されたが、発表済みの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』にとっては手遅れ。だが、このミスによって、誰でも自由に作品の上映・ビデオ販売を行うことが可能となり、そのように作品が遍在することによって、ゾンビ映画は低予算映画の中心的ジャンルとなった。
このことの意味は、メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』(1818年) の「怪物」の事例と比較すると明瞭となる。シェリーの小説そのものはとっくにパブリックドメイン入りしているが、ユニバーサルがボリス・カーロフ主演で1931年に制作した映画による改変は未だに保護の対象となっており、ユニバーサル以外のスタジオがキャラクターの翻案を行う際には権利侵害の危険がつきまとう。現にユニバーサルは雑誌のカバー・イラストをめぐって高額の訴訟を起こしたことがあり、『アイ・フランケンシュタイン』(2014年)の「怪物」が「顔に傷のあるだけのアーロン・エッカート」であることにも、そうした背景がある。
ロメロのゾンビも同じように保護されるに値するオリジナルなアイディアであったはずだが、上記のミスにより、本来であれば2024年まで、あるいは、ミッキー・マウスの著作権が切れそうになるたびに法律が改正される「ミッキー・マウス現象」を考慮に入れると、より長く保護されていた可能性のあった彼のアイディアは、映画本編とともに、誰もが自由に使える共有財産となり、結果、ゾンビ・ジャンルが栄えたのである。
『バタリアン』:もう一つの物語
以上が動画のあらましだが、少し調べると、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』によるモダン・ゾンビの創造と、その著作権をめぐる顛末については、また別のストーリーも浮かび上がってくる。
Plagiarism Today というサイトの2011年の記事から:
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は、一般に(脚本・監督を務めた)ジョージ・ロメロに関連付けられるが、実際には、共同脚本を務めたジョン・ルッソとのコラボレーションによるものであった。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のリリース後、二人は続編の執筆について話し合った。しかし、続編に向けてそれぞれが大きく異なる方向を求めていたために、方向性の違いが持ち上がった。
映画がパブリック・ドメインとなっており、両者がともに一作目の正統的な作者でもあったため、彼らはそれぞれの道を歩み、別々のシリーズを展開することに合意した。ルッソが「リビング・デッド」の名称を用いる権利を保持し、ロメロは彼の映画で「オブ・ザ・デッド」を用いることとなったのである。
ロメロは映画に直接につながる「公式の」続編を作り上げた。『ゾンビ』(Dawn of the Dead)、『死霊のえじき』(Day of the Dead)、『ランド・オブ・ザ・デッド』(Land of the Dead)、『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(Diary of the Dead)、『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(Survival of the Dead)である。〔……〕
ルッソは当初、『Return of the Living Dead』〔邦題「バタリアン」〕をより直接的な続編として書いていたが、彼が監督のダン・オバノンと組んでから、物語は大胆に書き直され、すでに進行していたロメロのシリーズとは大きく異なるものとなった。〔……〕
ロメロの映画がよりシリアスで、とりわけ消費主義・資本主義を標的とした社会風刺として意図されているのに対し、ルッソの映画、とりわけ一作目は、よりスラップスティック的でユーモラスなものとなっている。
『バタリアン』(1985年)については、当初『悪魔のいけにえ』(1974年)のトビー・フーパーが監督予定だったが、『スペースバンパイア』(1985年)に専念するためにフーパーが抜け、脚本を担当していたダン・オバノン(『エイリアン』『スペースバンパイア』の脚本家)に監督の仕事まで回ってきた、という経緯も知られている(2011年のドキュメンタリー『More Brains! A Return to the Living Dead』の中で、ルッソら関係者により語られている)。
2017年の7月と8月にロメロ、フーパーが相次いで逝去したが、フーパーが手掛けていたかもしれない『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のもう一つの「公式の」続編を『エイリアン』の脚本家が監督して、ホラーコメディの傑作が生まれた、という、なんだか著作権にも邦題にも劣らずややこしい、モダン・ホラー映画史の一幕である。
なお、パブリックドメインであるため、問題の著作権表示を忘れたタイトル画面は、YouTube 上で全編とともに確認することができる。
【訂正】(2017/09/04)
訳文中のロメロ監督による続編タイトルの列挙から『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』が抜け落ちていました。訂正いたします。
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