紹介するのは、ノア・バーラツキー(Noah Berlatsky)の短い記事「児童虐待者、レオナルド・ダ・ヴィンチ」("Leonardo da Vinci, Abuser", Splice Today, 2017/12/29)。
2017年10月に刊行された、ウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)による600ページを超えるレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記(Leonardo da Vinci, Simon & Schuster, 2017)が、事実としては認識しながらその含意を軽視している伝記的事実について論じたもの。
プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン、俳優ケビン・スペイシーといったハリウッドの大物によるセクハラ・性的虐待に対する告発の波をもたらした”#metoo”運動との重なり合いの中で、虐待の事実を前にダ・ヴィンチをどう描くべきか、という問いは、単なる過去の問題ではないことを示唆している。
以下、記事より抜粋。
レオナルド・ダ・ヴィンチは児童を虐待した。
これは、今年出されたウォルター・アイザックソンの分厚いレオナルドの伝記からあなたが受け取ることを想定されているものではない。アイザックソンはレオナルド礼賛者なのである。
1490年、レオナルドが38歳であった時、アンドレア・サライとニックネームをつけられた10歳の子どもがレオナルドの自宅に引き取られた。アイザックソンは、サライが15歳になるまでは二人は性行為を始めなかったと思うと述べているが、彼は実際のところ知らないのである。いずれにしろ、レオナルドが彼に経済的に依存している年若い少年と性的関係を持ったことに疑問の余地はない。そのような場合に同意などというものは不可能である。レオナルドは子どもをレイプしたのだ。
レオナルド擁護者は、彼はその時代の人間であったのだ、と論じるかもしれない。男性と少年のあいだのペドフィリア(小児性愛)がルネサンス期のフィレンツェで広く行われていたことは事実である。だが、受け入れられていた、というわけではなく、実のところ非合法であった。レオナルド自身が彼の生涯の若い時期に、ペドフィリアの罪で逮捕されていたのである。もっとも、比較的富裕な人物の息子として、彼はいかなる責任を取ることもなかったのだが。当局が男性と少年とのあいだの性行為に眉をひそめていたのは、当時の人々が(現在の人々同様)同性愛嫌悪的だったからだ。だが、彼らが、男性たちが少年とセックスすることを望まなかったのは、当時の彼らが(現在の私たちがそうであるように)、児童との性行為は児童に危害をもたらす、と知っていたからでもある。
証拠は十分でないが、アイザックソンの伝記からは、サライが実際に有害な影響に苦しんでいたことが示唆される。「サライ」(Salai)という名前は、「小さな悪魔」を意味するニックネームである。アイザックソンに言わせると、サライは気性において「厄介」で「いたずら者」であったそうだ。彼はレオナルドから金を繰り返し盗み、また夕食会で不作法にふるまって、食べ物を投げたりワインをこぼしたりした、という。レオナルドはこうした一切を尊大なまなざしで面白がり、アイザックソンは彼の態度に倣っている。だが、モノを盗んだり反抗的な態度をとったりする子どもは、時として不幸せなためにそうしているのである。ひょっとすると、サライは、愛らしいいたずらっ子などではなかったのかもしれない。ひょっとすると、彼は虐待され、怒り、当惑する子どもだったのかもしれない。
〔ハーヴェイ・〕ワインスタインは、数多くの被害者から告発されている。一方で、私たちはサライが彼のレオナルドとの関係をどう感じていたかを知らないし、正確にレオナルドが彼にいつ、何をしたのかを知らない。500年前の出来事を書き直す手立てはないし、書き直されるべきかどうかさえ知る手立てはない。だが、サライがどうにか証言することができたら、レオナルドの生涯はどのように見えていたかもしれない、ということは、じっくり考えてみる価値のあることだ。それこそが、アイザックソンが、そしておそらくレオナルド自身が、十分に知りたがろうともしなかったことなのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿
投稿されたコメントは管理人が承認するまで公開されません。