トランピネス vs. オバマケア

アメリカがどうもまずいことになっていると大衆が意識しだしたのは、二〇〇五年であったろう。コメディアンのスティーヴン・コルベアが真実っぽさ(truthiness)という新語を広めた年だった。この言葉は、政治家が合理性、証拠、さらには事実に基づいた議論に代わって、むやみに感情や「勘」に訴えるようになってきている現状を評したものだ。コルベアが示した定義によれば、ある主張が「真実っぽい」のは、たとえ厳密には真実でないとしても、真実だと感じられるときである。彼が当時のインタビューで語ったように、感情はいまや客観的真理に勝利したのだ。「かつては誰しもに自分の意見を持つ権利が認められていた。自分の事実を持つ権利ではなかった。だが、もはやどうでもいいことだ。事実がどうであってもかまわない。認識こそがすべてなのだ」
(ジョセフ・ヒース『啓蒙思想 2.0』栗原百代訳、
NTT出版、2014年、p.5)
「壁は建造することがなくても建造することができる」

 「ポスト真実」「真実なき後」(post-truth)という流行語の先駆けとなった、ともいわれる「真実っぽさ」(truthiness)なる造語を提起したアメリカのコメディアンのスティーヴン・コルベア(Stephen Colbert)。彼は、昨年の大統領選挙戦中、保守派のテレビ・コメンテーターを風刺した往年のパロディ・キャラクター・バージョンの〈スティーヴン・コルベア〉を復活させ、「真実っぽさ」に代わる新語「トランピネス」(Trumpiness「トランプっぽさ」)を提唱した。2016年のアメリカ大統領選におけるトランプ現象を支えているのは、かつて自らが命名した「真実っぽさ」の政治ですらなく、真実っぽく感じられる必要すらない政治だ、というのである。


The Word: Trumpiness by The Late Show with Stephen Colbert

「真実っぽさ」は、真実であるように感じられなければならない。だが、「トランピネス」は、そうである必要すらない。事実、多くのトランプ支持者は、彼の大胆な公約を信じていないし、〔公約を守るかどうかを〕気にもしていない。〔・・・〕そして、もし彼が彼の口にすることを本気で意味しなくていいのであれば、それはつまり、彼はなんでも言うことができる、ということだ。〔・・・〕国境の壁の例を見てみよう。先月、トランプは集会で「我々は壁を建造する、それは本物の壁になるだろう」と述べた。だが、同じ集会にいた支持者の一人はこう示唆した。「もし彼が国境を強化するのなら、壁を建造するのと同じことだと思う。・・・壁は建造することがなくても建造することができる。」〔・・・〕これらの正当に怒れる有権者たちは、真実であることや真実っぽく感じられることを言うリーダーなど必要としていないのだ。彼らは、感じっぽく感じられることを感じるリーダー(a leader to feel things that feel feels)を必要としているのだ。
トランプの国のオバマケア

 この半年前のビデオを思い出したのは、ニュース・サイトVoxのビデオ「トランプの国のオバマケア」("Obamacare in Trump country", 2017/01/17)を見ていてのこと。
 語呂を優先して“country”を「国」と訳したが、ここでの“country”とは、アメリカという国家のことではなくて、住民の82%がトランプに投票したケンタッキー州ウィットリー郡を指す。人口の97%が白人、25歳以上人口の88%が大学を出ていない。ケンタッキー・フライドチキン発祥の地。
 「トランプ支持者=低所得・低学歴白人層」というイメージは極めて疑わしく、あるいは、有害でさえあるものだが、とはいえ、内陸部に、絵に描いたような「トランプの国」があるのもまた事実だ。
 ただし、ビデオは、「トランプ支持」全般についてをめぐるものではない。ビデオは、「オバマケア」と通称される2010年の医療保険制度改革によって恩恵を受けながら、オバマケア廃止を訴えるトランプに投票した有権者たちに焦点を当てたものである。オバマケアのためのカウンセラーとして人々の健康保険加入を助けてきたにもかかわらずトランプに投票した、という女性が、メインとなる登場人物だ。


Obamacare in Trump country by Vox

第一に、ケンタッキーの人々は、トランプと共和党が2000万もの人々に恩恵をもたらしたプログラムを実際に廃止することなどあり得ない、と信じているのだった。

——じゃあ、あなたは彼らがそうするとは思っていないわけですね?
「えぇ、できっこないわよ。彼は子どもだっているのよ、そんなバカじゃないわ。言いたいこと分かるでしょ」

多くの人々は、トランプのキャンペーンのオバマケアに対するレトリックを口先だけのもの(all talk)だと考え、多くの人々が頼っているプログラムを彼が実際に廃止することなどあり得ない、と考えているのだった。


しかしながら、オバマケアに恩恵を受けた人々がなぜトランプに投票したのかについてのより説得的な説明は、プログラムのコストについての一般的な不満と、トランプが彼らにとってよりよいものをどうにか作ってくれるはずだという確信、ということかもしれない。


ドナルド・トランプは、オバマケアの代替案についてのキャンペーンなど展開しなかった。それよりも、彼はそれを廃止するという約束に焦点を合わせていた。


しかし、私たちが話を聞いた人々は、プランを必要としていないようだった。彼らは現行の法制度に失望し、トランプの「廃止して、何かものすごくいいものに取り換える」(repeal and replace it with something terrific)という約束にギャンブルすることを厭わないようだったのである。

 ※【2016/01/24更新】最初のパートを新たに加え、訳文の分量を増やした。

 インタビューを受けた人々は、オバマケアによって得られた健康保険加入の機会や医療費補助、あるいはユニバーサルヘルスケアという方向性を肯定的に語りつつも、経済的負担が重過ぎる、と口々に語る。その失望感がどの程度彼らのトランプ支持を後押ししたにしろ、彼らのこの「ギャンブル」を一概に「無知」「無責任」とのみ退けるわけにはいかない。そんな居心地の悪さを残すビデオである。
 もっとも、「トランプはビジネスの人なんだから、お金のことを知っているわ」と笑顔を浮かべる老婆には、さすがに呆れてしまうが(オバマケアのおかげで乳がん治療を受けられ感謝しているが、「オバマケア」という名も聞きたくないほどオバマが嫌いで、トランプに投票したのだという)。
 だったら、ゲーム配信サービスSteamの運営会社Valveの代表ゲイブ・ニューウェルのほうがトランプよりお金持ちなんだから、いっそ彼に医療保険制度を作ってもらえばいい、「Half Life Care 3」とかなんとか。「今週の“Midweek Madness”は眼科だ!」「私の飲んでるお薬、いつまで経っても“早期アクセス”のままですけど、大丈夫でしょうか?」とか、だんだん面倒臭くなりそうだ。

 ・・・と、PCゲームに縁のない方にはよく分からない冗談はさておき、ここで奇妙なのは、トランプと共和党が散々に語ってきた「オバマケア廃止」という公約をその投票者たちが全く真に受けていない、という点だろう。彼らにとって「廃止する」「取り消す」(repeal)とは、すなわち「何かいいものに取り換える」という意味なのだ。
 ところが、当のトランプや共和党政治家たちが自分たちで語りながら明らかに真に受けていないのは、「取り換える」(replace)という取って付けたような公約のほうの部分なのである。そこには、なんともおそろしい非対称性がある。
 トランプ次期大統領自身の発言を見てみよう(CNBC、2017/1/11)。

“オバマケアは廃止され取り換えられることになる。そしてそれは、本質上同時に、となる。いくつかに区分されたものにはなるだろうが、お分かりだろう、おそらくは同じ日に、あるいは同じ週に、しかしたぶん同じ日に、ひょっとすると同じ時間に。”
「考えではなく感情を伝える」政治

 冒頭に引用したカナダの哲学者ジョセフ・ヒース(Joseph Heath)は、現代アメリカの保守主義における反合理主義について、こんな指摘をしている。

共和党の候補者が「エネルギー省を閉鎖する」と言うとき、本気でエネルギー省を閉鎖し、職員を解雇するつもりなどない。〔・・・〕エネルギー省を閉鎖するという発言の真意は、ただ単に「私は、連邦政府が石油会社を嫌っていると非常に強く感じている。そこを変えたい」ということにすぎない。目的は、自分の考えではなく感情を伝えることだ。
(『啓蒙思想 2.0』、p.11)

 「決して完全なものではないが、潰してしまうのではなく改良していかなくてはいけない」という“理性的な”呼びかけが、「廃止して、何かものすごくいいものに取り換える」という口にしている本人がまるで何も考えていない“気分”の前に敗れる。それ自体は、決して喜ばしいことではないし、そもそも「敗れた」と言っていいのか数字的に微妙でもある。
 しかし、後者の“気分”に乗った人々は、前者の“理性的な”声の側が伝える“感情”を正しく受け取っていた、とも言えなくはない。すなわち、「代替案はない」という“気分”だ。
 「何かいいものに取り換える」という“気分”に乗っかって、(トランプ/共和党には)文字通り「代替案がない」、という“事実”に直面してしまう悲喜劇は、もっぱら「考えではなく感情を伝える」政治をやってきたトランプ/共和党側の問題としてさておき、彼らに対抗する側としては、「漸進主義的な改良を!」という考えが何に応え損ねたのか、考えてみる(感じてみる?)必要があるのかもしれない。


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