スクリーンの向こうにいる存在
本日のフレーズ:
Nina: I met up with Dredge once - like, in person. Talking with him didn't feel all that different.
Blake: I've never met anyone from the game in person. But you...you're way too hot. I wouldn't even be able to breathe near you in real life.
Nina: [laughs]
Blake: It's true!
Nina: I think you're giving me too much credit.
Blake: I like making you blush.
(Cibele, Star Maid Games, 2015)
名作無料ゲーム『how do you Do It?』(2014年。ブラウザでプレイ可能。Steamでも無料配信)の作者として知られるニナ・フリーマン(Nina Freeman)の自伝的作品『Cibele』(シビル、2015年)より。
『how do you Do It?』もほぼ実話らしいが。
how do you Do It? trailer from Emmett Butler on Vimeo.
『how do you Do It?』は、映画『タイタニック』(1997)でジャックとローズが何をしていたのかを懸命に考える11歳の少女の物語だが、『Cibele』は、オンライン・ゲームで知り合った男性と親密になっていく19歳のニナの物語。上の引用は、ゲームをプレイしながら音声チャットで会話している場面から。
“meet up with”は、「待ち合わせて会う」といった意味。“once”(一度)と口にしたニナが、ゲーム上ですでに「会って」いる相手の話であることを意識して付け加えているのが、“in person”という語句。「自分で」「じかに」といった訳語のあてられる表現だが、ここではオンラインでのコミュニケーションと対比して、「直接に顔を合わせて」という意味で用いられている。続く一文に出てくるのは、”not [...] all that ...”(「そんなに・・・ではない」)という表現。“different”(違う)との組み合わせは定番で、“It's not all that different.”(「大して違わないよ」)という言い回しは、よく耳にする。
ブレイクのセリフに出てくる“way too...”も頻出の口語表現で、“way”単独でも「ずっと」「はるかに」といった意味で副詞として使用される。ここでは、形容詞を修飾する“too”(「・・・すぎる」)と、「あまりにも・・・すぎる」というニュアンスで重ねられている。オクスフォード辞典を引くと、“way”のこの副詞用法は、“informal”(非正式的)とされているので、「超」とか「マジで」と訳したほうが雰囲気的に近いのかもしれない。
“credit”はクレジット・カードでおなじみの「信用」だが、“give (人) credit”で、「(人)を信用する」「(人)の功績を認める」「評価する」「褒めたたえる」という意味の表現となる。ここでは、その与えられる“credit”の度合いが“too much”だと述べられている。
私的訳文:
ニナ:ドレッジとは一度会ったことがあるの・・・リアルで、ね。彼と話すのはそんなに違う感じがしなかった。
ブレイク:僕はこのゲームで知り合った誰かとリアルで会ったことがない。だけど、君は・・・君はマジでホット過ぎるよ。リアルで君の近くにいたら息もできなくなる。
ニナ:(笑)
ブレイク:本当だって!
ニナ:私のことを買いかぶり過ぎだと思う。
ブレイク:君の顔を赤くさせるのが好きなんだよ。
ありふれた物語、風変りなゲーム
タイトル“Cibele”をなんと発音するのか、英語圏のプレイヤーのあいだでも「シビル?」「キビル?」「サイベル?」などと憶測が飛び交ったようだが、インタビューで、作者本人が「シビル」と発音の確認に答えている(Kinda Funny Gamescast Ep. 64 Pt. 3, 2016/04/05 )。彼女がMMORPG『ファイナル・ファンタジーXIV』で実際に使用していたアバター名であるという。
上のインタビューによると、自分以外の人物の名前は変えているし、自分の経験に基づくといっても、あくまでも題材、とのことだが、同時に他方で、作品化にあたっては、ブレイクのモデルとなった人物と約1年ぶりに連絡を取って軽く話をして、了解を取ったそうだ。
ただ、本人によると、この作品は、必ずしも何か個人的なゲームを作ることにこだわって作られたわけでもないらしい。
前述のインタビューより:
私はありふれた人間のストーリー(ordinary human stories)を語るのが好きで、それで私自身がありふれた人だったりするわけだから、私の人生は、その手のストーリーの素材を引き出すのにちょうどいい元ネタでしょ。
彼女によると、こういう《ありふれた物語を語るゲーム》という意味では『Gone Home』(2013年)の存在が大きなインスピレーションになったのだという。そして彼女は現在、その『Gone Home』のスタジオFullbrightの新作『Tacoma』(英語公式サイト、2017年8月2日発売予定)にレベル・デザイナーとして参加している。
作品そのものに話を戻すと、『Cibele』は一体どういうゲームか。構成内容から見ると、本作は「ショートフィルム+疑似デスクトップ」という様相を呈する。プレイヤーは、クリエイターのニナ・フリーマンが本人役を演じている実写のショートフィルム・パートによってコンテクストを与えられながら、疑似デスクトップおよびその一部としての疑似MMORPGをニナ視点でマウス片手に眺めていくことになるのである。プレイ時間は1時間ほどで、ストーリーに選択肢や分岐は存在しない。『Gone Home』などに与えられた「ウォーキング・シミュレーター」というジャンル名に呼応させるかのように、「デスクトップ・シミュレーター」というジャンル名(?)もささやかれている。
考えようによっては、「ゲーム」らしい要素がほとんどないとも言える本作だが、ショート・フィルムではなく「ゲーム」である理由はプレイしてみると自明でもある。たとえば、上のやりとりで「君の顔を赤くさせる」という小恥ずかしいセリフがブレイクの口から思いがけず飛び出すけれど、そう語るブレイクの顔は(作中のニナにもプレイヤーにも)見えないし、プレイヤーはプレイヤーと同じ視点でスクリーンを見ているニナの顔もうかがうことができない。プレイヤーがひとり勝手に「ひぃっ」と、ホラーよりも怖い思いをしているだけだったりして、その感覚は、確かにマウスを握ってスクリーンを眺める「プレイヤー」という視点でのみ可能なものなのである。
物語やゲームプレイとして何か傑出した作品というわけではないが、「こういうゲームもある」というそのこと自体がちょっと嬉しくなるような、ユニークな一作。
Cibele Release Date Trailer | Nina Freeman
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