「何も気にかけない宇宙」
本日のフレーズ:
Mae:
Do you believe in anything at all?Angus:
Um well so like the constellations I don't believe there's a whale out there.
But I uh believe that the stars exist and that people put the whale there.
Like I dunno. We're good at drawing lines through the spaces between stars.
Like we're pattern-finders, and we'll find patterns.
And we like really put our hearts and minds into it.
And even if we don't mean to.
So I believe in a universe that doesn't care and people who do.
(Night in the Woods, Finji, 2017)
2017年のインディー・ヒット作『Night in the Woods』より。大学をドロップアウトして故郷の町へと帰郷した女の子メイが親友たちとともに、一見平穏な田舎町に潜む不穏な影と対決することになる、ヤングアダルト風のアドベンチャー・ゲーム。アメリカ中西部のいわゆる「ラストベルト」(Rust Belt)=斜陽鉄鋼業地帯の町を舞台としており、現代アメリカを蝕む経済的・社会的不安がテーマとなっている(レビューはこちら)。上のセリフは、主人公メイが、彼女の親友の一人、アンガスと夜空を見上げながら交わす会話から。
最初のメイの疑問文に出てくるのが、“believe in”という表現。“I believe you.”であれば、「きみ(の言うこと)を信じる」という意味になるが、“I believe in you.”であれば、「きみ(の人格・力量)を信頼する」といった意味になる。ここでは「(神や幽霊などの)存在を信じる」の意。アンガスのセリフの終わりで、メイの質問への返答のまとめとして、この“believe in”が繰り返されている。
続く行にも“believe”が登場。I believe / that... / and / that.... /“と、「……ということ」と「……ということ」を信じる、という使われ方。“believe in”のフレーズが再登場する最後の文も、“I believe in / a universe.../ and / people.../”と、存在を信じるものが二つ並べられ、関係代名詞の“that”と“who”によって、“care”しない宇宙(a unverse)と、する人々(people)、という説明がそれぞれ加えられている。
“Like I dunno.”以下で、アンガスが連発している“like”は、ここでは「えーと」「なんというか」「まぁその」「ってわけさ」といったニュアンスの語で、特に訳す必要はないが、言葉を手探りしながら喋る彼の雰囲気が伝わってくる部分。"dunno"は“don't know”の口語表記。ゲームを通して、この手の口語表記が散見される。
私的訳文:
メイ:
何の存在も信じないの?アンガス:
ふむ、たとえば星座のように、僕は、そこにクジラがいる、とは思わないわけだ。
でも、僕は、つまりその、星々が存在していて、人々がそこにクジラの姿を置いた、とは考える。
なんというかな。僕らは星のあいだの空間に線を引くのがうまいんだよ。
僕らはパターンを見出す存在で、つねにパターンを見つけるのさ。
そして、僕らはそこに心と精神とを注ぐんだよ。
たとえ僕らにそんなつもりがなかったとしてもね。
だから、僕は何も気にかけない宇宙の存在と、気にかける人々の存在を信じている。
心優しい無神論者のために
Night In The Woods Trailer
夜の森を「不気味」(spooky)と評したメイに対して、アンガスが「神とか幽霊とか超能力とか、その類いのものは信じない」と語り、アンガスが無神論者(atheist)になった経緯が語られる場面。メイはといえば、14、15歳の頃から教会に足を運んでいない、と述べる一方で、母親が教会で働いており、また、彼女自身が、神とも幽霊ともつかない、得体の知れない存在の登場する夢に悩まされており、神や幽霊といった存在について今一つ割り切れない姿勢を示す。そして、そのことを象徴するかのように、“Oh God.”という言葉を繰り返す。
「無神論」を、日本のいわゆる「無宗教」からイメージしてはいけない。「特定の宗教宗派の信者ではない」という意味で「無宗教」を自認する、というのは、実のところ、近代日本の特殊な宗教観でありそれ自体一種の宗教心、とも指摘される(阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書、1996年)。「無神論」というのは、アンガスが語るように、「神とか幽霊とか超能力とか、その類いのものは信じない」という信条であり、神社でおみくじを引き、クリスマスを祝い、葬式でお経をあげるのを「無神論者」とは呼ばない。
アンガスは物静かで無口な青年だが、超自然現象的な話題や表現には、はっきりと不同意を口にする。ウィルス駆除のツールをもらったメイが「きみの魔法(magic)が通じるか試してみるよ」と礼を言うと、「魔法じゃない、単なる0と1さ」と応える、といった具合だ。こういうアンガスを指して、二人の共通の友人ビー(Bea, Beatrice)は「口やかましい無神論者」(annoyingly strident atheist)と評する。ただ同時に、アンガスが、信仰を抱き実践している人々を軽蔑したり貶めたりといった素振りを見せることはない。
英語圏では2000年代中頃以降、「新無神論」(New Atheism)とおおざっぱに称される戦闘的な無神論者グループが物議をかもしてきた。進化生物学者リチャード・ドーキンスの『神は妄想である』(2006年)をはじめとするベストセラー本とオンライン・コミュニティを媒介に信奉者(?)を増やしたグループで、優越感をむきだしに宗教への憎悪(とりわけテロ事件と結びつけたイスラム憎悪)を煽るその言動をめぐっては、無神論者のあいだからも批判が多い(参考:The Guardian, Salon ※日本語ではこのブログ記事が詳しい)。
オンラインでパラノーマル系のインチキについて学んだというアンガスだが、無神論の中のこの「有毒な」(toxic)オンライン・カルチャーの部分に染まることはなかったようだ。実際、アンガスは「神も幽霊もいない」ときっぱり繰り返しながら、人々がそういったものを見出してきたことを非難しようとはしない。星座は実在のものではないが、だからといって、そこに過去の人々が託した物語が空虚な戯言だというわけではないのである。
だからまぁ、星々は僕らのことなんかちっとも気にもかけずにそこにあるわけだけど、でも、このクジラはとってもクールだね。
So like, the stars can stay up there and not give a shit about us, but this whale is pretty cool.
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