【海外記事紹介】「ゾンビのことは忘れろ:ヤングアダルト・ゲームの、ホットな新しい悪役は世界そのものである」(The A.V. Club)


Night In the Woods (Finji, 2017)

【ネタバレ注意】

 以下で紹介する記事「ゾンビのことは忘れろ:ヤングアダルト・ゲームの、ホットな新しい悪役は世界そのものである」(Patrick Lee, "Forget zombies: In young-adult games, the hot new villain is the world itself", The A.V. Club, 2017/04/26)の原文は、『Life Is Strange ライフ・イズ・ストレンジ』、『Until Dawn アンティル・ドーン』、『Oxenfree』、『Night In the Woods』のゲーム4作品のネタバレを含む。以下の抜粋でも、『Oxenfree』、『Night In the Woods』のそれぞれの終盤の展開について具体的に触れた箇所を訳している。こちらの2作はいずれも現時点で公式日本語リリースのないインディー・タイトルだが、ネタバレを望まない方は要注意。

嵐が去り夜が明けるとき

 以下、記事より抜粋。

スクウェア・エニックスにより発売された『Life Is Strange』やハリウッドを真似た『Until Dawn』から、サマーキャンプ・ゴシック『We Know the Devil』や幽霊譚『Oxenfree』のような愛おしいインディー・タイトルにまで及ぶ、最近のヤングアダルト・ゲーム作品群が存在する。これらのタイトルは、その視野に収められているものやスタイルにおいては全く異なるものの、作品のトーンやテーマにおいて、偽りなく一つの運動(movement)とみなすことができる共通性を帯びている。それらの作品の若い主人公は、通常、社会から孤立していて、周りにいる大人はみな、彼らにとって助けにならないか、危険を感じさせる存在でしかない。それらの作品はどれもはっきりとしたホラー要素を含んでおり、ホラー要素をあからさまに提示しているものもあれば、いったんプレイヤーを世界とキャラクターに親しませてからホラー要素を投げつけてくるものもある。示唆的なのは、それらの作品がどれもみな、そこでの最大の脅威が特定のキャラクターにではなく、巨大な、得体の知れず、はっきりとしない、抽象的な力に由来している物語である、ということだ。


今日の若い主人公たちにとって、真の脅威は、大人でも同世代の子どもたちでもなく、頑なに彼らを罰しようとする不可解な世界、すなわち、主人公たちの罪に対して不釣り合いな過酷さを以て罰を与え、あるいは、彼らが犯してすらいない罪のために罰を与え、ときには何の理由もなく罰を与える世界なのである。その罰とは、遅らせることも、抗弁することも、闘い返すこともできず、耐えぬくことだけが許される罰なのだ。〔・・・〕これらの力は目に見えないもので、カタルシスをもたらすボス戦や勝利はそこにない。これらの力は無慈悲な存在で、ナラティヴと会話に焦点を定めたゲームでありながら、それらの力に向かっては懇願することも説得することもできない。そしてまた、これらの力は、主人公たちの若さと生命力めがけて襲いかかってくる、何かしら歴史的で、執念深い過去の残り物(remenants)なのである。

両親や祖父母たちを支えてきた諸制度は明らかに死に絶えつつある、にもかかわらず、子どもたちはそれらに参加することを未だに期待されている。これが、『Oxenfree』の幽霊たちが、アメリカの経済的繁栄の絶頂期としてしばしば描かれる時代の顕現と言うべき、原子力時代の住民たちである理由だ。そして、彼らが若い主人公たちの肉体を奪って、次の世代の暮らしを犠牲に時代遅れのシステムを生き延びさせようとする理由でもある。あるいは、この作品群の最新作にあたる『Night in the Woods』の悪役が、とっくに死んだ産業を復興させようと望むラストベルト=斜陽鉄鋼地帯(Rust Belt)の元鉱夫たちのカルトであるのも、そのためだ。共和党に票を投じる代わりに、彼らは悪魔に若者たちの命を捧げるのである。まるでそれで何かが変わるとでも言うかのように。


来たるべき世代に向かって一つの波が叩きつけようとしている。そしてそれを防いだり避けたりするために彼らができることは、ほんのわずかしかない。彼らにできることは、不可能に思える試練を耐え抜く若者たちの物語をときに通じて、何とか乗り切ることを学ぶことだけなのだ。それが、この新しいヤングアダルト・ゲームの作品群の核にある、密かな希望の種である。すなわち、生き延びる、という希望だ。今日の若き主人公たちは、間一髪勝利を収めることもなければ悪を打ち破ることもないし、計り知れない喪失や不可能に思えるような犠牲なしには試練を切り抜けることはできない。だが、嵐が去り夜が明けるとき、彼らはまだ生きており、彼らにはまだ未来があり、世界は——だいぶガタが来ているにしても——彼らを未だに待ち受けているのである。

社会という名のコズミック・ホラー

 私は『Until Dawn』のみ未プレイだけれど、大変共感を覚える記事。

 『Life Is Strange ライフ・イズ・ストレンジ』(PS4/PS3/PC, 2015)〔日本語公式サイト〕、『Until Dawn アンティル・ドーン』(PS4, 2015)〔日本語公式サイト〕は、日本でもゲーム機でリリースされているメジャータイトルだが、残りのタイトルは紹介が必要だろう。『Oxenfree』(2016)、『Night In the Woods』(2017)については、先日それぞれ別に記事を書いた(「【ゲームの英語】『Oxenfree』」「【ゲームレビュー】『Night In the Woods』」)。

 一番マイナーなタイトル『We Know the Devil』(2015)は、『13日の金曜日』を思わせる、しかし同時にキリスト教カルト色の漂うサマーキャンプを舞台に、森のなかの小屋で「悪魔」が訪れるのを待ち構えながら一夜を過ごす3人のティーンを描く「グループ関係をめぐるホラー・ビジュアルノベル」(Group Relationship Horror Visual novel)。80年代ティーン・ホラーとともに、主人公たちの名前(ジュピター、ヴィーナス、ネプチューン)をはじめ、『美少女戦士セーラームーン』が重要な参照項とされている、風変りな一作(にして、傑作)。


We Know the Devil - Trailer

 これらの作品の悪役である「世界」は、上の記事の著者パトリック・リーも述べているように、特定の個人に帰すことのできない、得体の知れない抽象的な力として主人公たちに向かって無慈悲に振る舞うが、同時にしばしば、はっきりとした歴史性を帯びたものとして描かれもする。「世界」と言っても、それは、全く抽象的な観念としての世界(「セカイ」?)ではなく、むしろ具体的な歴史を持った世界、歴史的現在としての世界なのである。その世界は、逸脱する者を罰しようとし、あるいは理由があろうとなかろうと、罪を背負わせるいけにえ(scapegoat)を探し求めるシステムとして、これらの主人公たちの前に立ち現れる。『We Know the Devil』や『Night In the Woods』においては、そこに、キリスト教保守の道徳観であったり資本主義経済であったりといった、ある地域の具体的な歴史地理に即した輪郭がより明示的に与えられている。そこでは、いわば、社会が一種のコズミック・ホラー(宇宙的恐怖)として若者たちを脅かすのである。『We Know the Devil』は、「社会」という名のコズミック・ホラーを、スラッシャー映画と『セーラームーン』というポップ・カルチャーを通じて巧みに読み替え、それに立ち向かう物語、なのかもしれない。

 なお個人的には、ここに『Undertale』(2015)も並べたほうがいいのではないか、と考える。『Undertale』は「誰も死ななくていいフレンドリーなRPG」を謳った、一見愛らしいタイトルだが、まさに罰を耐え抜く物語であり、はっきりとホラー要素を含む、理不尽な暴力に覆われた世界についての物語、そしてまた、そんな世界のなかで「殺されるな」、という物語でもある。

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