スノーデン現象、もう一つの物語
紹介するのは、The New York Review of Books に載せられた長文エッセイ「エドワード・スノーデン再考」(Tamin Shaw, "Edward Snowden Reconsidered", The New York Review of Books, 2018/09/13)。スノーデンによる機密暴露5周年を念頭に書かれた、スリリングな論考である。
何か知られていなかった事実が述べられているわけではないが、エドワード・スノーデン本人というより、スノーデンを取り巻く群像を今日の視点から再構成することで、彼ら自身の語り口からは見えづらい、「スノーデン現象」の帯びてきた不穏な側面に光を当てている。
記事でも言及されているローラ・ポイトラスの二つのドキュメンタリー映画、『シチズンフォー』(2014年)と『リスク』(2017年)を見ておくと、時系列や登場人物が理解しやすいだろう。もちろん、この記事を読むと、彼女のドキュメンタリーの印象も少し変わってくるのであるが。
「偏執的リバタリアニズム」の仄暗い衝動
以下、長いが、記事より抜粋:
この夏、NSAの監視についてのエドワード・スノーデンの暴露の5周年が静かに過ぎ去った。〔……〕この数年のあいだ、私たちは、大手テック企業(Big Tech)がNSAとデータを共有しているだけでなく、膨大な情報を自らの目的のために収集していることについてより多くのことを学んだ。そしてまた私たちは、ビッグ・データの用いられるさまざまな戦略的な目的を認識し始めている。その意味で、私たちは、スノーデンの暴露の本当の重要性をようやく理解し始めたところなのである。
このことは、2013年当時に比べて、私たちがスノーデンの動機や目的について今日多くを知っているということを意味しない。スノーデンが最初からロシア政府の協力者だったのではないか、という疑問が持ち出され、議論された。そうであると示す証拠は存在しない。彼が中国のスパイであると示す証拠が存在しないのと同様に。彼自身の述べた動機は、米国市民に対する監視の、問題のある拡張ということだった。だが、彼が盗み出したドキュメントの多くは、この公言された関心とは関わりのないものであった。彼がアクセスしたと諜報機関が信じているところの170万のドキュメントのうちの一部は、確かに、国内向けプログラムについての重要な情報をもたらした。たとえば、9.11事件後にジョージ・W・ブッシュ大統領によって認可され、のちのオバマ政権下での拡張の基礎となった、捜査令状を必要としない監視プログラム「Stellar Wind」の継続についてがそうだ。だが、ドキュメントのほとんどは、外国の監視やサイバー戦争に関わるものであったのである。このことは、彼が何らかの他の組織や大義のために働いているのではないか、という憶測を招くこととなった。私たちには知るよしもない。
しかしながら、彼個人の意図がどうであったにせよ、スノーデン現象は、彼自身よりも、さらに彼のリークしたドキュメントよりも、大きなものであった。ふりかえってみて、スノーデン現象は、新たに出現しつつあるイデオロギー上の再編を垣間見させるものであったのである。初めてのことではないが、極左と極右、リバタリアンと権威主義の合流である。そしてまた、私たちが突入していることを当時知らなかったが、いまになって理解する必要に迫られている、情報戦への強力な介入でもあったのである。
スノーデンは、マーク・フェルトやダニエル・エルスバークのような単なる内部告発者になるつもりはなかった。彼は指導者的存在になりたかったのである。そして彼はおおむね成功した。5年間のあいだ、彼が公衆の心のうちに打ち立てた物静かで高潔な人柄は、アメリカの「ディープ・ステイト」に対する抵抗を活気づけてきた。それは、部分的には、スノーデン自身が主役のアカデミー賞に輝いたドキュメンタリー映画や、彼が登場するオリバー・ストーン監督の長編映画、そして、彼の主な収入源となっているビデオ・リンクで行ってきた多くのトークによって鼓舞されてきたものだ。彼は現在383万人のツイッター・フォロワーを持つ。彼は「インフルエンサー」であり、しかも有力なその一人なのである。
実際のところ、公衆がスノーデンについて知っていることのほとんどは、選ばれた協力者たちからなる少人数のサークルによって組み立てられた彼の肖像のフィルターを通している。彼らの全員が、当時はウィキリークスの支持者であった。スノーデンはウィキリークスとはやっかいな、しかし緊密な関係を結んでいる。スノーデンは、当初ドキュメントをウィキリークスを通してリークすることを考えたが、2012年にアサンジがエクアドル大使館へと逃げ込み、彼とコンタクトすることが困難でリスキーになったため、考えを変えたのだという。代わりに、スノーデンはウィキリークスを熱心に擁護していた独立のジャーナリスト、グレン・グリーンウォルドに接触しようとした。これが失敗に終わり、彼はドキュメンタリー映画監督のローラ・ポイトラスに接触した。彼女が、オサマ・ビンラディンのボディガードだった人物を追ったドキュメンタリーを制作して政府から執拗な監視を受けていた際に、グリーンウォルドが声高に彼女を擁護していたのである。
ポイトラスは、2010年にジェイコブ・アッペルバウムと接触して以来、Tor プロジェクトのコミュニティのメンバーであった。Tor プロジェクトは、プライベートなオンライン上のやりとりを可能にする暗号化された Tor のウェブ・ブラウザーを開発するもので、アッペルバウムは、Tor プロジェクト、そしてアサンジの親しい友人・協力者となってからはウィキリークスの双方における重要メンバーであった。Wired のケヴィン・ポールセンの取材から、スノーデンが少なくとも2012年には Tor のコミュニティと接触していたことが分かっている。
2014年に映画『シチズンフォー』が公開されたとき、ポイトラスが Tor と ウィキリークスにどれほど深く関わっていたのか、あるいは、アサンジとのイデオロギー的親近性を当時持っていたのかを、ほとんどの人々は知らなかった。ガーディアン紙は賢明にも、ベテランの記者エヴァン・マッカースキルをポイトラスとグリーンウォルドの香港行きに同行させたが、そのことは、スノーデンの暴露の動機がイデオロギー的なものであるよりジャーナリスティックなものである、という印象を与えることを助けた。私たちはその後、ポイトラスのアサンジとの複雑な関係を、2017年に公開されたウィキリークスについての彼女の映画『リスク』で垣間見ている。
このグループに共有されている政治的なイデオロギーがあったとしても、定義しづらいものである。彼らはしばしば左派に属するとみなされてきた。監視公安国家(National Security State)に対する批判は、左派から提起される傾向にあったからである。だが、ウィキリークスの編集者でアサンジのアドバイザーであるサラ・ハリソンがスノーデンに会うために香港へと飛んだとき、彼女は、アサンジの失敗に終わったオーストリア上院選挙のキャンペーンを監督していた直後であった。そのキャンペーンで、ウィキリークス党は極右と提携していたらしい。アサンジの父で党書記のジョン・シップトンが率いるウィキリークス党のキャンペーン・チームは、シリアの権威主義的指導者、バシャール・アル=アサドへの人目を引く訪問も行っている。シップトンはロシアの国営ラジオで、アメリカと対比するかたちで、ウラジミール・プーチンのシリアでの活動を褒めちぎった。政治歴史学者のショーン・ウィレンツ(Sean Wilentz)は2014年に、当時としては珍しかったアサンジ、スノーデン、グリーンウォルドについての批判的な記事のなかで、彼らは思想として一貫したものを共有しているわけではないが、共通の政治的衝動を抱いている、と論じて、その衝動を「偏執的リバタリアニズム」(paranoid libertarianism)と名付けた。あとにして思えば、私たちは、ポイトラス、グリーンウォルド、アサンジ、スノーデンが協力関係を結んだ当時、彼らが没頭していたのは、米国政府の欺瞞という問題であったことを見て取ることができる。国際法に従って、人権を尊重し、国際法の枠内で活動すると謳いながら、自身の掲げる規範や価値を破り続ける、という欺瞞である。
この見方には十分な根拠があった。嘘やでっち上げの証拠、意図的にあいまいな目標を用いて正当化されたイラク戦争は、数十万もの死を招き、そしてまた、CIAのブラックサイトやグアンタナモの収容施設への「敵戦闘員」容疑者の引き渡しと拷問を導いていたのである。
だが、法の支配をめぐるシニシズムは一つの連続体のなかに位置している。一方では、政府の欺瞞を暴露することは、自由民主主義政府に向かってその理想に恥じないことを求める要求によって動機づけられる。公的関心の高まりや、監督する委員会の設置、先見的な政治家の選出、リベラル・デモクラシーを恣意的で野放しな統治から守るためのその他のメカニズムの利用などを通して、説明責任を強化しなければならない、という要求である。〔……〕だが、他方の極に存在するのは、法とはつねに実際のところ政治が別の姿を装ったものにすぎない、という考え方である。法は、ひとそろいの抽象的な規範を用意するが、それらが具体的事例に対してどのように運用されるべきかを指定できないため、人間が運用の決定を下すのであり、決定を下すのは究極的には最も権力を有する者たちなのである、という考え方だ。
後者の見方においては、合法性と正当性についてのリベラルな観念はつねに欺瞞に満ちたものであることになる。これは、20世紀の最も影響力のある法理論家の一人、カール・シュミットによって広められた見方である。1933年に入党したナチス党員で、第三帝国の「桂冠法学者」として知られることになった人物である。
私たちは、映画『リスク』で、アサンジが電話に向かって、米国でのウィキリークスの行動の合法性について、次のように話すのを耳にする。「我々は憲法修正第一条〔訳注:報道の自由を定めた条項〕によって守られている。だが、結局は政治の問題だ。法は判事が解釈するのだから」と。彼は繰り返し、合法性とは政治の道具に過ぎない、という見方を表明する〔……〕。だが、スノーデンの周囲の人々のこのシニシズムは、シュミットのように、法の支配についてのメタ的な見方から導き出されたものではない。そうではなく、法の支配を代弁する米国が、法の支配という思想を、「ディープ・ステイト」の野放しな権力を偽る仮面として用いている、という見方から導き出されているのである。
米国こそが世界における最も有害なアクターである、というこの見方は、プーチンのロシアのような他の国々の行いを批判することをグリーンウォルドにとって気の進まないものとしている。
この観点からすると、NSAの監視プログラム「PRISM」についてのスノーデンの有名なリークが、グリーンウォルドと、ワシントン・ポストのバートン・ゲルマンによって初めて明らかにされたとき、NSAが完全に無法にふるまっているかのような誤った解釈がなされていた事実は、極めて重大な意味を持つ。(スノーデンのリークについてのグリーンウォルドの著書によると、ゲルマンは、ワシントン・ポストが求める厳格なチェックの前に公表するようにスノーデンから相当なプレッシャーを受けていた、という。)ゲルマンとグリーンウォルド両者とも、最初の報道では、PRISMを通して、NSAとFBIが9個の米国の主要インターネット会社(Microsoft、Yahoo、Google、Facebook、PalTalk、AOL、Skype、YouTube、Apple)のサーバーに直接のアクセスが可能である、と主張していた。「直接のアクセス」(direct access)という言葉は、NSAとFBIがこれらの会社のサーバーを思いのままに何の法的認可もなしに調べまわることが可能である、ということをほのめかすが、これは正確ではなかった。そして訂正が出されたものの、最初に公衆に植え付けられた第一印象が消え去ることはなかったのである。スノーデン自身が彼のプラットフォームを用いてこの誤解を訂正したことは一度もない。
ロシアを含む多くの国々が、米国のサイバー戦力の急速な拡大に追いつこうとするなかで、スノーデンの暴露を自国の監視プログラムの拡大の正当化に用いた。プーチンは、PRISMについての報道を「ディープ・ステート」についての理論の助長に利用し、インターネットは「CIAの策謀」であると主張したのである。
グリーンウォルドやアサンジたちが正しく理解していたことがあるとすれば、それは米国が過去70年間のあいだに途方もない経済的・軍事的な勢力となったということである。〔……〕そこで問題は、この強大な力が、欺瞞的であるにせよ一定の制約のもとで自由民主主義的な国家によって運用されるほうがよいのか、それとも、何の制約も受けずにむきだしに公然とした姿で権威主義的な国家によって運用されるほうがよいのか、ということである。スノーデンの暴露から5年、私たちはいくつかの変化を目にしてきた。なかでも、独裁者を公然と賞賛するドナルド・トランプの大統領選出は、米国が権威主義的な未来に向かう可能性を私たちに否応なく想像させる。民主主義的な説明責任、権力分立による抑制と均衡、法の支配は、不完全な手段かもしれないが、米国の力を人道的な目的へと向かわせるうえで最良の希望であるように見える。過去の失敗は、この希望を捨て去るだけの十分な理由とはならない。テクノロジーへの信仰も同じだ。テクノロジーは手段に過ぎず、目的を識別することはない。テクノロジーが私たちを救うことなどないのである。エドワード・スノーデンは私たちの救世主ではない。
オーラとほころび
ローラ・ポイトラスとウィキリークスの決裂については、以前別に記事を書いた(「映画『Risk』のプロデューサーら、映画公開をめぐるウィキリークスとジュリアン・アサンジからの妨害に対し反論」)。そこでは、ネット掲示板上でアサンジ本人にぶつけられた、アサンジとスノーデンは全く別の哲学を動機としているのではないか、という問いかけや、ウィキリークスが情報の抑圧を試みたりフェイクニュースを拡散してきたりした事例についても紹介した。
また、グレン・グリーンウォルドが、陰謀論の拡散に一役買った事例についても、以前ある記事で触れた(海外記事紹介「陰謀論を研究するリベラルの学者が、いかにして右翼の陰謀論の標的となったか」)。
その言動にほころびの目立つウィキリークス/アサンジやグリーンウォルドに比べると、スノーデンは相変わらず高潔な人格を思わせるミステリアスなオーラを保っている。とはいえ、記事が述べるように、私たちが知る「スノーデン」という現象は、彼が同志関係が結んだこのサークルによって醸成されてきたものであり、この同志関係の根底に透けて見える、不穏な政治的衝動からスノーデンだけを例外とみなすべき積極的理由は実のところないのである。
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