【映画予告】『Assassination Nation』:少女たちの復讐

Assassination Nation - Sundance Teaser

誰が書いたのか忘れたけれど、こんな感じの引用を読んだことがある。「人口の10%は冷酷である、10%は慈悲深い、残りの80%はどちらの方向にでも傾き得る」と。それを書いた人は、WorldStar のケンカ動画も 4chan もツイッターも見たことがなかったのだろう、っていう確信が私にはある。

 2018年1月21日にサンダンス映画祭にて初上映され、話題を呼んだアメリカ映画『Assassination Nation』(アサシネーション・ネーション)の予告。

反性差別のリベンジ・ファンタジー

 どういう映画か? The Vergeの記事「『Assassination Nation』は、ミソジニー(女性嫌悪)についての、凶暴で、カタルシス的なホラー映画である」(Adi Robertson, "Assassination Nation is a vicious, cathartic horror film about misogyny", The Verge, 2017/01/24)によると、映画は、セイラムの郊外を舞台に、匿名のハッカーの手によって住民たちの秘密がネットで暴露されてコミュニティが混沌に陥る中、迫り来る暴徒たちと対峙することになる4人の少女の物語だという。記事は、「小さな町が狂っていくホラーと高校ドラマがミックスされた、性差別とソーシャルメディアについてのおそろしく率直な社会風刺劇」と映画のジャンルを位置づけたうえで、次のような概観を与えている。

昨年の10月、何人かの女性たちがハーヴェイ・ワインスタインによる強姦を告発したほんの数日後、彼の頻繁なコラボレーターであったウディ・アレンが男たちにとっての「魔女狩り的な雰囲気」への不安を表明した。以来、何人もの人々が、続いて巻き起こった「#MeToo」運動を「魔女狩り」だと呼んだ。権力を持った男たちが職を失うことを大量処刑になぞらえる誇張である。

サム・レヴィンソン(『Another Happy Day』)監督・脚本の映画『Assassination Nation』も、魔女狩りのメタファーを用いている。だが、フェミニズムの行き過ぎなるものを非難する代わりに、映画は、怒りに満ちた、しばしば居心地のよくない、反性差別のリベンジ・ファンタジー(anti-sexist revenge fantasy)なのである。キャストの一人、コルマン・ドミンゴのQ&Aセッションでの言葉を借りれば、「映画は、『有毒な男らしさ』(toxic masculinity)に対する、いかなる犠牲も厭わない戦争」なのだ。そして、『Assassination Nation』では、狩りは死をもって終わる——たくさんの、たくさんの死をもって。


で、実際のところ、何についての映画なの?

偽善や、感情移入の欠如、極端な行動へ飛びつくことを厭わない態度がいかにアメリカを破壊しているか、について。それから、いかに多くの人が純粋に邪悪で死ぬべきであるか、について。

オーケー、少し口が滑った。『Assassination Nation』の核にあるのは、女性たちが、男性たちと他の女性たちの両方から、ジェンダー化されたステレオタイプを追認するようせきたてられ、そして、そうしたステレオタイプを体現することによって罰を受ける、そのあり方への考察である。映画の中では、女性と女性性に対する憎悪が社会のすべてを汚染している。この憎悪は、セックスを相互にとっての快楽の行為から不均衡な取引に変えるし、トランスジェンダーのティーンであるベックスのような、ジェンダーの小ぎれいな分類に当てはまらない人々の人生を惨めなものにする。この憎悪はまた、男たちに、自分の男らしさが脅かされたときには暴力的に振舞うようにと仕向ける。

インターネットはこれらの問題を増幅している。あらゆる行為を計算されたパフォーマンスに変え、あらゆる人の秘密についての記録を作り出し、お互いの顔を見ずに冷酷に振舞うことを可能にすることによって。〔……〕レヴィンソン監督は、上映の後で、映画の本当の悪役はソーシャルメディアではなく、「感情移入の欠如」だ、と述べた。

だが、『Assassination Nation』に登場する多くの人々は感情移入に値しないし、実際、感情移入を受けることもない。リリーのナレーションの一部をパラフレーズすれば、3種類のセイラム住民がいる。少数の善良な男女、少数のサディストども、そして、女性嫌悪的な憎悪に満ちた群衆に喜んで加わる傍観者の大群である。後ろの2つのグループは、映画が進むにつれ、ますます、そして取り返しのつかないかたちで怪物的になっていく。やじを飛ばす群衆、自警団員、トランスジェンダーを嫌悪する体育会系の男たち、少女たちを獲物とみなす年上の男たちは、冷血な殺人者たちとなる一歩手前にいて、彼らを止める唯一の方法は、先に彼らを殺すことなのである。

 この後半の展開は、別にネタバレではないのだろう。女性たちを守るように立ち、銃を構える4人の姿が、宣伝素材にも使われている。

Courtesy of Sundance Institute

 映画は、少女たちがヘイト集団と化した住民相手に死闘を演じるホラー・アクションなのである。The Verge 記事によると、この吹っ切れが、ファンタジーとしてカタルシス的である一方で、同時に、テーマ的に成否の評価の難しい部分でもあるようだ。

現実の世界では、私たちは、男が一体どこまで性的に虐待的にふるまったら不満の声を受けるにふさわしいのかについて議論をし、女性たちに向かって、彼女たちを人間扱いしない人々に対して同情心を持つようにと命じている。だが、リリーと仲間たちはそのような倫理的なあいまいさに苦しむことはない。映画の後半は、ほぼノンストップのアクションであり、家宅侵入者たちや徘徊するギャング集団との追いつ追われつの攻防が演じられる。

だが、結果的に、そのことが映画を少し後味の悪いものにもしている。『Assassination Nation』は、和解や贖いの余地を残すが、選ばれた少数に対してのみでもある。大部分において、親切心を返すことを拒む人々とつながろうとすることは無意味なのである、彼らはあなたに付け込もうとするだけなのだから。これは、いまこの時代に、耳心地のよいメッセージであるし、多くの場合において、真実であるように思える。だが、それは同時に、まさしく『Assassination Nation』が警鐘を鳴らしているはずの精神的態度でもあるのだ。

「有毒な男らしさ」(toxic masculinity)

 出演男優が言及したという「有毒な男らしさ」(toxic masculinity)とは、「男らしさ」をめぐる伝統的な規範意識が、社会や本人にとって有害な行動をもたらす状態を描写する用語。性暴力やドメスティック・バイオレンス、あるいは薬物依存などの背景としてしばしば指摘される。そういえば、「男らしくあれ」という強迫観念は環境破壊に寄与している、と示唆する心理実験もある(関連記事「男らしくない:環境への配慮に対する抵抗の驚くべき理由」)。

 男であることが何か本質的に有害であるといった意味ではまったくないのだが、もちろん、そうは解さない人々も多い。分かりやすい対比として、クラウドソース型辞書サイト Urban Dictionary で出てくる上位2つの「定義」を順に並べておこう(2018/01/28アクセス)。

トップ定義

男はかくあるべし、という社会的に構築された諸態度のこと:暴力的であれ、感情的になるな、性的に積極的であれ、などなど。男性にとって有害なものであり、それらの行動の結果として他の人々へも危害を及ぼす。

The socially-constructed attitudes that men are expected to be: violent, unemotional, sexually aggressive, etc. It's harmful to men and it harms everyone else as a consequence through these actions.


2

男であるというそれだけで悪いことだ、という観念を支持するためのフェミニストによるでっち上げ語。そうして男に対する憎悪の継続を許し、優位と特権のための彼ら自身のアジェンダと戦争を支持する。

A made up term by feminists to support the notion that just being male is a bad thing. And in turn allowing the continued hatred of men, to support their own agenda and war for supremacy and privilege.

 後者の「定義」は、フェミニストは男に対する「戦争」をしかけている、という主張を後段に含む。この投稿者によると、「男らしさ」「女らしさ」といった価値観について疑義を呈することは「戦争」であるらしい。「戦争」である、ということは、相手は殺されるべき「敵」である、ということだ。「魔女狩り」「戦争」といった殺戮を想起させるメタファーを用いるとき、人は、無意識的にであれ、自分たちは攻撃を受けており、現状を守るためなら命を奪ってでも「敵」を黙らせなければいけない、と仄めかしている。

 映画は、バックラッシュにお馴染みのこの「男に対する戦争」なる被害妄想的なメタファーを逆用してみせているようだ。

 監督サム・レヴィンソン(Sam Levinson)、主演オデッサ・ヤング(Odessa Young)。上映時間110分。

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