【海外記事紹介】「トランプと英EU離脱:だから経済とは関係がないのだよ、愚か者」(British Politics and Policy)

 バークベック・カレッジの政治学教授エリック・カウフマンによる記事「トランプとブレグジット:だから経済とは関係がないのだよ、愚か者」(Eric Kaufmann, "Trump and Brexit: why it’s again NOT the economy, stupid", British Politics and Policy , 2016/11/09)を抜粋的に紹介し、雑感を付す。
 今年6月のイギリスのEU離脱投票(Brexit)と今月のアメリカのドナルド・トランプ大統領選勝利、という二つの出来事についてよく語られる、「グローバル経済に対する白人貧困層の怒りが・・・」といった明確な根拠のない通説を、投票行動の分析を通して批判して、双方の支持層に本当に共通するものは何か、を論じている。

「移民」の時代と「右翼権威主義」

 カウフマンによれば、トランプ支持層とEU離脱派、両者の動機を理解する鍵は、「思いやりを持つこと(considerate)と、行儀がよいこと(well-mannered)、子どもにとって重要なのは、どちらですか?」という、一見無害な質問に対する答えのなかにあるという。
 彼が成人のアメリカ白人とイギリス白人とをそれぞれ対象に8月に行ったサンプリング調査において、「収入」という要素は、高収入であるほどトランプ支持傾向、低収入であるほど離脱支持傾向、という対照を見せたが、いずれも統計的に有意なものではなかった。他方で、どちらのサンプルの分布においてもくっきりと浮かび上がったのは、この「思いやり」か「行儀のよさ」か、という回答の違いのあいだに横たわる大きな断層であったのである。すなわち、「思いやり」を選ぶ人々は、トランプ不支持・離脱不支持の側に分布し、「行儀のよさ」を選ぶ人々は、トランプ支持・離脱支持の側に分布する傾向が統計的に確認されたのである。

二つの答えは、ほとんど同じようなものに聞こえるかもしれないが、社会心理学者は、「思いやりを持つこと」は他者に向けられる感情へとつながるものであるのに対し、「行儀がよいこと」は権威への尊敬に関わるものであることを知っている。

 後者の回答が示すのは、社会心理学者が「右翼権威主義」(Right-Wing Authoritarianism)と名付ける傾向である。ただし、カウフマンは、そんな大仰な用語など使わなくとも、「秩序を好むか、新しさを追い求めるかの違い」と理解すればいい、という。

社会心理学者のカレン・ステナー(Karen Stenner)が先見の明をもって述べたように、多様性と差異は、秩序と安定性を求める右翼権威主義者たちを不安にさせる。経済的階級ではなく、これが、今日、西欧諸国での選挙のパイの分配を決定するものなのだ。収入や物質的な暮らし向きは、移民に対する態度についての最近の研究が示唆するように、右翼ポピュリズムを理解するうえでとくに重要なものではない。

 「彼らは貧困層ではなくとも経済的不安を感じているのだ」と言う人もいるかもしれないが、まるで説得的でない、とカウフマンは指摘する。10段階でトランプへの支持を0とした人々の40%が貧困や格差をアメリカの最重要問題と答えたのに対し、トランプへの支持を10とした人々のうち、貧困や格差を最重要問題と答えたのはわずか4%に過ぎなかったのである。カウフマンは、「貧困・格差」を問題と考えず「移民」を問題視する支持派と、「貧困・格差」を問題視し「移民」を問題と考えない不支持派、という同じ対照を、トランプとEU離脱の双方で確認している。

トランプとEU離脱への投票は、有権者たちのあいだの(とりわけ白人層のあいだの)価値観の分断が政治の主軸となる新しい政治の時代の幕開けを知らせるものであった。急速な人種的変化(ethnic change)の時代において、この裂け目は、文化的連続性や秩序を好む人々と、多様性に対してオープンで新しい経験を追い求める人々とを分け隔てるものとなるのである。政策立案者や知識人は、学校、病院、雇用といった古びた対処策がポピュリストの魔人をビンのなかに封じ込めてくれることを想像するのはやめて、この現実にこそ直面しなければならない。
「経済的不安」では説明できない、不愉快な現実

 個人的にも、トランプ現象について、あからさまな人種主義という要素をさしおいて「格差への苛立ち」などというすまし顔の説明がされているのを見かけると、そのたびに溜息が出るので、興味深い指摘として読んだ。が、分析としてざっくりし過ぎている、という不満を別にしても、結局のところ、説明になっていない、という気もする。「(まるで価値観の)異なる投票を行うのは、まるで価値観が異なっているからだ」というだけの堂々巡りになりかねないのである。
 当たり前だが、「経済的不安がある」と自ら答える人だけが「経済的不安」を抱えているわけではない。こういう調査から見えてくるのは、むしろ、個々人の生計の実態がどうであれ、彼らが自身を取り巻く状況を「貧困」「格差」あるいは「経済」といった言語ではなく、もっぱら「人種」をめぐる言語において理解する傾向にある、というもっと単純な事実ではないだろうか。

 ただ、雇用や福祉によってこのポピュリズムを消滅させることはできない、という結論には賛成だ。それらが重要でない、という意味ではなく、別に考えなければいけない問題が存在する、という意味で。

 雑な印象論を承知で、ニューヨーク・タイムズCNNが図表化している出口調査を眺めると、トランプ支持者はクリントン支持者に比べて「経済」をたいして重要な問題とみなしていない一方で(カウフマンの調査同様、彼らが重要問題と答えるのは「移民」だ)、国民経済はうまくいっていない、と回答する傾向にあるらしい。
 「経済は好調か」というこの手の質問への回答自体、アメリカの二大政党制のような空間では政権への支持・不支持表明にしかなっていないのでは、という気もするものの、経済はうまくいっていない、と感じているが、別に経済をどうこうして欲しいとは思っていない、という態度は、それはそれで実際あり得るのだろう。というか、私が「経済的不安」という説明に違和感を持つのは、それがこういう感情の回路の存在から目を背けてしまう点にある。

 彼らを取り巻く状況がどうであれ、彼らが現に求めているのは「経済」や「暮らし」ではない、という不愉快な現実をまず認めなければいけないのだろう。