翼の折れたネット右翼
「オルト・ライト」(Alt-right, オルタナ右翼)なる言葉の発案者リチャード・スペンサーはただのボンボンの白人至上主義者である、と指摘した記事を以前紹介した。ただ、そこで触れなかったことは、名付け親はスペンサーかもしれないが、「オルト・ライト」という言葉から英語圏の人々が真っ先に連想するのは、別の人物である(あるいは、であった)、ということだ。そして、その人物マイロ・ヤノプルス(Milo Yiannopoulos)の急速な失墜が、先週ニュースとなった。
ハフィントン・ポスト日本語版が、彼のこれまでの言動を含めて比較的詳しい翻訳・加筆記事を載せている。
アメリカの極右ニュースサイト「ブライトバート・ニュース」の編集幹部マイロ・ヤノプルス氏が、小児性愛者を擁護する発言を写した動画が流出した。ヤノプルス氏は2月21日声明を発表し、「ブライトバート・ニュース」の編集幹部を辞任したと明かした。
動画が流出すると、ヤノプルス氏は出版予定だった本の契約が取り消された。また、保守派の会合への招待も取り消された。
インタビューの中でヤノプルス氏は、成人男性と13歳少年との小児性愛(ペドフィリア)をあからさまに擁護。 また、自分が未成年だった頃、神父からオーラルセックスのやり方を教わったとして、その時の様子について冗談を交えて話をした。
この発言が最近になって拡散し、攻撃的な言動で築かれた彼のキャリアが一気に崩壊した。
ヤノプルス氏は20日夜、Facebookで発言について「一部責任がある」と釈明した。
ヤノプルス氏は、人種差別を煽る発言で批判を受けていた。
リメイク版「ゴーストバスターズ」に出演した女優レズリー・ジョーンズに女性蔑視の嫌がらせ(トロール)を繰り返し、Twitterを永久追放されている。
「ゴーストバスターズ」の主役が全員女性になったことで、黒人女優のジョーンズはミソジニスト(女性嫌悪の人間)、レイシスト(人種差別主義者)からサルと呼ばれ、尻の写真や卑猥なコラージュ写真などを送りつけられる嫌がらせを受け続けた、一時はTwitterの利用を断念するところまで追い込まれた。
またヤノプルス氏は、男性のゲーマーが女性のゲーム開発者を嫌がらせのターゲットにした「ゲーマーゲート」騒動で、反フェミニスト派としてSNS上で何千人ものフォロワーを集めた。
「流出」とあるのは誤りだろう。問題となったポッドキャストは当然ながら公開されていたものだ(し、この2016年の発言そのものが、2015年に別のネット番組で行った同趣旨の発言に関する批判を取り上げて繰り返されたものだ)。「拡散」はされたが、「流出」などではない。それと細かいことを言えば、加筆部分におそらく“thousands of”の訳語として「何千人もの」という文面が出てくるが、ここでは「千」ではなく「万」とすべきだ。アカウント停止前の彼のツイッター・フォロワー数は「338000」と報じられている(The Guardian)。
関連して、時系列を整えると、彼をそのフォロワー数の地位に押し上げたのが、2014年の「#Gamergate」(ゲーマーゲート)騒動である。「ゲーマーなんて負け犬」的な見解を披瀝していた過去があるにもかかわらず、彼は、このネットリンチから始まった自称「ゲーマーの運動」の援護を買って出て、グループの標的や批判者に対する容赦のない差別言動とハラスメントとによって、グループの事実上の頭目として支持を集め、悪名を馳せた(#Gamergateについては、別の記事で触れた)。女性キャストによるリブート版『ゴーストバスターズ』(2016)への攻撃もその流れから派生したもの、と見たほうがいい。そして、彼の勤め先であったBreitbartがドナルド・トランプの大統領キャンペーンそして政権と一体化するなか、彼自身もトランプを「パパ」(Daddy)と呼んで支持し、ニュースのヘッドラインを飾る極右の顔となっていたのである。
「流出」ではない、というところに話を戻すと、ニュース・サイトVoxが、この動画を広めるきっかけを作った16歳の少女を取材している(彼女の身の安全を守るために匿名にしている)。社会的にはリベラルだが、経済と外交については右寄り、と自身を位置づける彼女は、全米の保守派が集う年に一度の大会「保守政治活動協議会」(Conservative Political Action Conference, CPAC)にマイロ・ヤノプルスが今年の講演者として招かれていることを知り、愕然。彼女にとって、マイロは、何の原則もなく左翼非難にだけ明け暮れている現代の保守派の醜悪さを体現する存在であり、保守主義が縁を切るべきものの象徴だったのである。そこで彼女はおぼろげな記憶からマイロが出演していた2016年7月の動画の問題のパートを掘り起こす。自分やリベラル派が発信しても保守派に届かない、と考えた彼女は、マイロを批判していた保守派ブロガーに動画の存在を教え、保守派サークルに広めることに成功したのだという。結果、CPACへの招待の取り消しばかりか、出版契約の破棄、辞任にまで波紋が及んだのである。
ただ、ここで紹介したいのは、騒動の前に書かれたブログ記事「マイロ・ヤノプルス、カトリック的な罪の意識の有力な唱道者」(Martin Hughes , "Milo Yiannopoulos: The Leading Catholic Guilt Evangelist", Patheos, 2017/01/26)である。Patheosは「宗教やスピリチュアリティに関するグローバルな対話」(the global dialogue about religion and spirituality)を掲げるポータル・サイトで、無神論者を多く含むさまざまな人々が信仰に関する話題について寄稿しており、このブログの著者は、自らを無神論者(atheist)と述べている。
論旨はタイトルにある通り。タブー破りを売りにした言動や相手をまじめに取り合おうとしない嘲笑的な態度が、あたかも何の信念も持たないモラルの破壊者であるかのようなオーラをこの人物に与えているが、マイロ・ヤノプルスは、原罪を人々に説いて回るカトリックの伝道者であり、本人もそれを自認している、というもの。
以下、論旨を抜粋していく。
カトリック的な罪の意識の強化、というアジェンダ?
私は、多くの無神論者(atheists)、さらには多くの反有神論者(anti-theists)までもが、マイロ・ヤノプルスを、マイロが現代における先導的なカトリック唱道者であるという事実にも関わらず、擁護し称えるのに熱心であることを奇妙に思っていた。冷笑的な挑発者のイメージと表面的には映るもののために、このこと〔マイロがカトリック唱道者であること〕を理解するのは難しいかもしれない。だが、マイロが実際に批判しているものや、激賞しているものが何であり、それがどんな時かを見るとき、彼が完全に異なるアジェンダについて非常に戦略的であることが分かる。すなわち、カトリック的な罪の意識の強化、というアジェンダのことである。
人々が彼がまじめなカトリックであるはずがないと言う理由の一つは、彼自身の一見誇らしげな同性愛にある。しかしながら、マイロ・ヤノプルスは、カトリック教会に正しく従い、同性愛がいかに邪悪であるかについて語るために、彼の同性愛を議論できる立場を利用しているのである。
マイロ・ヤノプルスは、ゲイであることを公言しながら、同性愛を擁護せず、むしろ罪(sin)だと断定する。たとえばインタビューで彼は次のように述べている。
誰が言ったか覚えていないけど、人々は英国教会信徒やバプテスト、メソジストや何かである、なぜなら自分たちのことを善良な人々だと信じているからだ、ところで、カトリックはカトリックである、なぜなら自分たちが善良でないと知っているからだ、と。僕らは原罪っていうものを持っている。僕らは教会に行く、なぜなら僕らは僕らが善良でないと知っているからだ。
自身の同性愛を「罪」とみなすことと、カトリックを自負することとが、彼のなかでは緊密に結び付けられているわけである。
マイロ・ヤノプルスは、西欧世界の大半がそれ自体を善良で受け入れられたものと宣言しようとしている、と見ている。だが、マイロにとって、これは簡単なことではない。〔彼の考えでは、〕我々は欠陥を抱えており、自分たち自身と折り合いをつけることなどできないのだ。彼はキリストにそれをしてもらう必要があるのである。彼はキリストの必要性の歩く化身であり、彼は、残りの世界もまた「原罪」に染まっており、本質的にキリストを必要としている、と示すべく運命づけられている、というわけである。そこに、同情を誘う部分があるのは確かだ。だが、その裏側にあるのは、彼や他の人々は、努力を費やすべき生来のカトリック的な罪を持っており、そして彼はそれを高めるべく、そのことを認知させるべく励んでいる、という感情なのである。
カトリックとして、彼の任務は、聖書に基づくユダヤ-キリスト教的諸価値から遠ざかろうとする社会的進歩を食い止めることにあり、彼の友軍は、キリスト教の影響と偏見のために私たちの文化のなかに存在する恥(shame)の感覚である〔・・・〕。彼は、人々に対して彼らが本質的に善良でないことを示す使命を帯びているのである。彼らは堕落しており、欠陥を抱えておりキリストを必要としている、と。マイロは新しく鮮烈なものに見えるかもしれないが、彼は、カトリック教会と聖書に基づく価値観とにとって使い勝手のいい最も強力な手段なのである。
このことは、具体的な社会的争点に対する彼のスタンスをリストアップしていくと、はっきりする、と著者は指摘する。
妊娠中絶について。彼は中絶を罪とする教会の立場を支持しているばかりか、教会がもっと強硬な態度を取ることを望んでいる。
トランスジェンダーについて。彼の立場は、トランスジェンダーを「イデオロギー的な植民地化」の産物と呼んだフランシスコ第266代ローマ教皇の立場と変わらないもので、ユダヤ-キリスト教的価値観に訴えるかたちでトランスジェンダーの存在を否定するものである。
フェミニズムについて。これもまた、フェミニズムが「女性の重要性を減少させかねない」と発言したフランシスコ教皇と似ている。女性には、妻、母といった役割があり、それ以外に何かをしようとするのは不幸の始まり、というわけだ。
無神論について。彼は無神論をフェミニズム同様、イデオロギー的な宿敵とみなし、無神論者を「簡単に挑発に乗る連中」と嘲る。だが、彼は同じ挑発をクリスチャンには向けない。
私がここで指摘したいのは、マイロは、明らかにダブル・スタンダードを抱えた人物だ、ということである。彼は単に人々を嘲笑することに関心があるのではない。なぜなら彼は無神論者は容赦なく嘲られるべきだと語ったその次の瞬間には、キリスト教はもっと多くの崇敬と尊敬を受けるべきだ、とたっぷり時間をかけてまじめに論じているのである。彼は、カトリック的キリスト教を守り、それが私たちの文化において私たちの道徳的な感覚に及ぼしていた影響力を守ることに関心があるのである。彼は単なるコメディアンなどではない、彼は衝動に駆られた福音伝道者なのだ。そしてもしあなたが彼の社会的な立場についてのリストを読み通すならば、彼が、どれほど滑稽めかしてであれ、繰り返し強調しようとしている立場が、彼の聴衆にカトリック的な罪の意識を増進させるべく戦略的に表明されているものであることを知るだろう〔・・・〕。
「インターネットで最も素敵なスーパーヴィラン」の凋落
マイロ・ヤノプルスが彼の標的に向けるのは「お前は俺よりもマシな人間なんかじゃない」という嘲りだ。これは、インターネットの片隅にある冷笑的な同調意識と親和的で(#Gamergateの発症地は、2ちゃんねるを模した英語掲示板4chanだと言われる)、宗教に対して敵愾心を燃やす反有神論者タイプのなかにも同調者を見出すが、実のところ、「全ての人間は堕落している」という古典的な原罪をめぐる説教であった、というわけである。もちろん、結局それもまた、道化として振る舞うためのギミックの一つに過ぎなかったのでは、という疑いは捨て切れないが。
ただ、今回のあっけない失脚劇を見ると、《何も失うものはないかのような彼の振る舞いの裏には、実のところ、一定のアジェンダがあり、そしてまた彼が嘲笑を向けないグループがいる》という記事の分析はなかなか説得的でもある。
マイロ・ヤノプルスは「インターネットで最も素敵なスーパーヴィラン」(the most fabulous supervillain on the internet)を自称していた。「スーパーヴィラン」というのは、「スーパーヒーロー」の対義語、アメコミにおける悪役を指す語だ。別にコミックに興味があるわけではなく、「インターネットで最悪の男」という悪名に進んで乗っかったものだろうが、「ヴィラン」という語は、それなりに彼のような人々の行動原理(と思えたもの)を言い当てているところがあって、要するに、彼らは、「人が何かを真剣に気にかけることができる」「他人を本気で気遣うことができる」といった考えに我慢がならないらしい。そこから、「人間は醜い」「世界は救われない」と宣告するヴィランの仮面(ペルソナ)が呼び出される。そして、マイロの場合、この仮面の下には、「自己努力による救済はあり得ない」と説く伝道師の姿が同時にあったのかもしれないわけだ。
数々の差別言動や煽動を糾弾され忌み嫌われようが、ネットで拾った無給の「インターン」たちに記事を代筆させていることを暴露されようが(Buzzfeed)、チャリティーと称して金を持ち逃げした疑惑が浮上しようが(The Guardian)、気にする素振りを見せてこなかったこの男が、今回、釈明し弁明している。嘲笑とタブー破りとを武器にしてきた当人が「真意ではない」「言葉選びが不注意だった」とばかりに釈明するさまは、それ自体皮肉だ。だが、彼にとってより致命的だったのは、結局のところ、彼は彼なりに何かを気にかけているのかもしれない、と示唆してしまったことなのだろう。彼が釈明して守ろうとしたもの、それが単に保守派サークル内での地位や名声であったのか、あるいはもっと深く〈カトリックの同性愛者〉という彼自身のアイデンティティや個人史に関わる部分であったのかは分からない。いずれにせよ、彼は、自ら課したヴィランの役を演じ切ることに失敗したのである。
余談
・・・と記事を書いていたら、「マイロ・ヤノプルスの代わりにCPACで講演することになったのは、日本の悪名高いカルトのメンバー」という見出しが目に飛び込んできた(Boing Boing)。問題のカルトとは幸福の科学のことで、幸福の科学の元幹部で幸福実現党の初代党首・あえば直道がその人物だという。記事を書いているコリー・ドクトロウも、その信仰内容と「霊言」(posthumous interviews)とに軽く触れて、「いや、冗談じゃなくて(Seriously.)」と結んでいる。
【追記2017/02/29】
細かな修正と一部加筆。なお、余談で触れた日本の極右との思いがけないリンクについては、日本語で詳しい記事がすでにあった。
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