(※)以下では、ゲーム『Undertale』のエンディングの一つに登場するセリフを取り上げています。具体的なキャラクター名や出来事は伏せていますが、ネタバレを気にされる方は要注意。
ナイスであり続けようとすること
No matter the struggles or hardships you faced... you strived to do the right thing.[...] Well, if I were you, I would have thrown in the towel by now. But you didn't get this far by giving up, did you? That's right. You have something called "determination." So as long as you hold on...so as long as you do what's in your heart...I believe you can do the right thing.
(Undertale, Toby Fox, 2015)
トビー・フォックス(Toby Fox)という名のクリエイターによるインディー小品でありながら、絶大な支持を集めた「誰も死ななくていいフレンドリーなRPG」、『Undertale』(アンダーテイル、2015年)。ファンのあいだで“True Pacifist Route”(真の暴力反対主義ルート)と呼ばれているエンディングの条件を満たして終盤を迎えた場合に、あるキャラクターがプレイヤーに向かって語るセリフからの抜粋。
文法的・語彙的にはシンプルなセリフ。最初に出てくるのは、“No matter [what]...”(たとえどんな・・・でも)という譲歩の副詞節。中略([...])を挟んで、次の文章は“If...were..., ... would...”(もし・・・なら、・・・だろう)という、現実とは違う想像について述べる仮定法。“throw in the towel”は、「〔ボクシングなどで〕タオルを投げ入れる」=「敗北を認める」の意。続く”by now”の“by”は、ここでは「・・・まで」という期間を表わす用法。その前の部分が“would throw in”(投げ入れるだろう)ではなく“would have thrown in”(投げ入れていただろう)と現在完了形で過去についての仮定を述べているのと対応している。引用符がつけられた“determination”は、物語の鍵となっている単語の一つだが、そのあたりのネタバレ解釈は、非公式日本語Wikiに、英語Wikiの翻訳・加筆記事があるようなので、そちらに譲ろう。
最後の一文にある“as long as...”は、文法的には「従位接続詞」とか呼ばれるもので、「・・・するあいだは」「・・・するかぎりは」という時間や条件を表わす。その条件のかぎりで、という断りをつけて、“I belive [that] ...”(・・・ということを信じる)と語っている。“hold on”は、「電話を切らないで」というあたりから、何かを「死守する」みたいなニュアンスまで広く使われるが、要するに、《ある状態を続ける、保持する》というイメージ。ここでは、「君はこんな努力をしてきた」と語ってきたことを受けての“hold on”であり、“do what's in your heart”(心のなかにあることをする)とも言い換えられている。
さて、本題の“do the right thing”というフレーズ。“True Pacifist Route”を振り返ると、終盤に、二人の登場人物が“do the right thing”と“strive”という語句をともに使っていることに気がつく。“do the right thing”は、スパイク・リー監督の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)のタイトルにもなっている慣用句だが、他にもいくつもあり得る、単に「(道徳的に)正しいこと」(a right thing)ではなくて、他のあれこれではない、その置かれた状況のなかで取るべき最良の「正しいこと」「やるべきこと」(the right thing)を問いかける言葉である。
このフレーズを用いるもう一人のキャラクターは、“I don't regret that decision anymore. I did the right thing. ”(「あの決断を今はもう後悔していない。正しいことをしたんだ」)と語る。他の選択肢ではない、その決断を実行したことは、その状況で最善の「正しいこと」だったと思う、と述べているわけだ。だがもちろん、かつての後悔が語られているように、「正しいこと」とは、一瞬の苦渋の決断を後から振り返ってのみ、そう言えるものでもあって、だからこそ、多大な努力を費やす(strive)ものとして語られているのである。
私的訳文:
どんなに苦しい局面や困難に直面しようと・・・君は正しいことをしようと必死に努力した。〔・・・〕まぁ、俺が君の立場にいたら、今ごろまでにはとっくに降参していただろうね。だけど、あきらめなかったからこそ、君はここまで来れたんだろう、違うか? そうさ。君は「決意」とかいうやつを持っている。だから、君が踏ん張り続けて、自分に正直に行動する限り、君はするべきことをすることができる、そう俺は信じているよ。
小鳥はさえずり、花は咲き乱れ・・・
複数のエンディングが用意されている『Undertale』では、ゲームの終盤に、プレイヤーの行いに対して審判が下されるが、『Undertale』において注意深く避けられているのは、「正しいことを行う」ということを「善人」といったカテゴリーに還元する欲望である。
私たちはプレイヤーに問題解決の選択肢が多く与えられるタイプのゲームをプレイする時、「善人キャラ」「極悪キャラ」といった「ロールプレイ」をしばしば持ち込むが、「善人」だから「正しいこと」をする、というのは、冷静に考えてみると、何だか倒錯した論理であろう。まして「こっちのセーブは『善人』、こっちのセーブは『極悪人』」といった言い方になると、セーブファイルのなかに「善人」「悪人」という抽象概念を実在視する、一種のフェティッシュのようにも思えてくる。そして、多くのプレイヤーは「いや、こっちのセーブはあくまで『もう一方』の展開を知りたくてプレイしたもので、自分にとっての『真の』選択はこっちのセーブだ」などと自分や他人に言い聞かせもするだろう。『Undertale』は、その物語とメカニクスとを通じて、こういったゲームをめぐる常識をあからさまに撹乱してくる。
“pacifism”という単語は「平和主義」と訳されがちだが、オクスフォード・オンライン辞典(OxfordDictionaries.com)では、「戦争や暴力は正当化され得ないものであり、あらゆる争議・紛争は平和的手段によって解決されるべきである、という信条」(The belief that war and violence are unjustifiable and that all disputes should be settled by peaceful means)と定義されている(2017/05/29アクセス)。争いのない状態としての「平和」(peace)を漠然と志向する、といった意味ではない。《解決手段としての暴力の拒絶》が、本質である。英和辞典でも、「平和主義」という一般的な訳語よりも「戦争(暴力)反対主義」といった訳語を先に載せている例が見られるが、妥当な判断だろう。
あなたはイノセントな「善人」や筋金入りの「非暴力主義者」などではないかもしれないが、「正しいこと」をしようと努力することはできる。・・・というのが、この風変りなゲームの、案外常識的な(しかし、意外にも貴重な)メッセージなのかもしれない。
UNDERTALE Release Trailer
(2018/03/17最終更新 ※誤植を訂正)
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