【海外記事紹介】「キャパニックがスポーツに政治を持ち込んだのではない。NFLが国歌の演奏によって持ち込んだのだ」(Vox)

Zack Beauchamp, "Kaepernick didn’t bring politics into sports. The NFL did that by playing the anthem."(Vox, 2016/09/03)

 アメリカン・フットボール選手コリン・キャパニック(Colin Kaepernick)の国歌演奏起立拒否について、『楽しいプロパガンダ』書評で触れたが、関連して有用な記事を見つけたので、抜粋的に紹介。

 記事は、

  • アメリカにおけるスポーツと国歌の結びつきは、国際的に見て特殊なものであること
  • 「星条旗」の国歌への格上げ、スポーツ・イベントでのその利用ともに、二つの世界大戦期に起源があること、
  • 今日のスポーツ・イベントでの国歌の演奏は、もっぱらブランド戦略や営利との関連において理解されるべきものであること
を明快に論じている。

国際的に言えば、国歌を国内のスポーツ・イベントの前に演奏するのは、実のところ、標準的なことではない。〔・・・〕アメリカ人でない者は、アメリカのスポーツにおける愛国的なスペクタクルの一切を不可解なものと感じる。

その理由は、アメリカ人が外国人よりも愛国的だから、というものではない。二度の世界大戦のあいだ、アメリカのスポーツ諸リーグが自分たちをアメリカ軍に結び付けたから、というだけの話だ。今日、国歌演奏のもともとの理由付けはもはやたいして意味をなしていない。そして、それが体現するところの愛国的イメージは、政治的論争を時折招くマーケティング・ツールという以上のものではない。

 1814年に書かれた詩に由来する「星条旗」(“The Star-Spangled Banner”)は、1916年、ウッドロー・ウィルソン大統領が軍や国歌式典での利用を命じたことから非公式の国歌となり、1931年になってようやく正式に国歌と定められた。
 第一次世界大戦のもたらした愛国的熱狂によってポピュラーになったこの歌のビジネス上の価値に目を付けたのが野球界で、最初の使用は、1918年のワールドシリーズに遡る。国家の演奏は、終戦後も特別なイベントにおいて繰り返されたが、これが全試合で演奏されるようになるには、第二次世界大戦を待たなければならなかった。
 そして、大戦後、この儀礼が伝統化するとともに、スーパーボウルのようなイベントにおいて、試合に「アメリカの伝統的価値」というイメージをまとわせるブランド戦略上の役割を果たすようになったのである。

今日、スポーツ・イベントでの愛国的イメージは、実際の愛国心とはほとんど関係がない。そして、リーグの収益とは大いに関係がある。
プロ・スポーツにおける愛国主義は、実際のところ、愛国心にまつわるものではない。それは、アメリカ人の国民的自尊心を高めることなくただ利用するために設計されたパフォーマンス、茶番劇(pantomime)なのだ。国歌の演奏は、いかなる意味においても国民を称えることなどではない。『星条旗』を広告のジングルに変えることなのだ。

 記者は、金儲けのための利用であれ、国歌のような、異なる人々の間で複数の解釈や異なる意味を持ち得るシンボルを持ち込むことは、その時点で不可避的に政治的にならざるを得ないのであり、社会の不正義に対して声を上げたキャパニックの「政治的な」ふるまいを批判する側こそが倒錯している、と指摘する。

スポーツ・イベントへの国歌の挿入が、「非政治的」であることなど絶対にできない、なぜなら、愛国心は非政治的なものではないからだ。思い出して欲しい、政治をイベントに持ち込むことこそが、第一次・第二次世界大戦のときのはっきりとした主眼であった。彼らは戦争への支持を盛り上げようとしていたのである。