【海外記事紹介】「『ハドソン川の奇跡』で、クリント・イーストウッドは英雄を政治の武器にしてしまっている」(The Guardian)

Stephen Cass, "Sullied: with Sully, Clint Eastwood is weaponizing a hero"(The Guardian, 2016/09/12)

 クリント・イーストウッド監督の映画『ハドソン川の奇跡』(原題Sully)は、「ハドソン川の奇跡」と呼ばれた、2009年に起きたUSエアウェイズのジェット機のハドソン川への不時着水を題材にした、いわゆる「実話もの」だ。トム・ハンクスが、離陸直後にエンジン機能を失ったジェット機を乗員乗客無事に不時着させた機長チェズレイ・“サリー”・サレンバーガーを演じている。

 記事は、この映画が、連邦政府による規制を嫌うイーストウッドの保守的・リバタリアン(自由至上主義者)的な政治スタンスと、6分間の出来事から長編を作るという要請から、事実を曲げて、国家運輸安全委員会(NTSB)の調査官を悪役として仕立てあげることで、危険な無知を助長している、と指摘する。映画が基づいているはずの著書でサレンバーガー自身が「調査官たちが、ジェフ〔副操縦士〕と私がすべての段階において適切な決断を下した、と結論したことに元気づけられた」と述べているにもかかわらず、映画は、事故調査のために機長らの意見を聴取したNTSBの調査官たちを機長らを執拗に糾弾する存在として描いているのである、という。

彼〔サレンバーガー機長自身〕が述べるように、〔機長と副操縦士を招いてのコクピット・ボイスレコーダーの〕再生は、フライトから四ヶ月後に、6人の人間の集まった一室で行なわれた。ところが、『ハドソン川の奇跡』では、再生は、フライトの数日後に、満席のいんちき法廷の面前で行われる。疲労したパイロットたちは、狂犬じみた役人たちに責め立てられ、テストパイロットが容易に滑走路への着陸に成功すると示す告発的なシミュレーションを見せつけられるのである。

『ハドソン川の奇跡』において、映画の作り手たちは、ある問題に直面した。6分間のフライトからどうやって長編映画を作るか? 彼らは簡単な道を選び、悪役をこしらえたのである。結果として、映画が与える印象は、上映を後にしながら誰かがそう口にするのを私が耳にしたように、NTSBが「サリーを陥れようとした」、というものとなるのである。
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 クリント・イーストウッドが優れた映画監督であるのは間違いないが、今年の大統領選ではドナルド・トランプへの支持を表明したりと彼の政治的立場はかなり疑問の多いものであることで知られている。やはり実在の人物を主人公にした『アメリカン・スナイパー』(2014)も、不都合な事実を多く改変していることで批判を受けたが(たとえば、この記事この記事を参照)、新作における露骨で有害な脚色は、あまりにも商業的であると同時にあまりにもプロパガンダ的である、といえよう(こうした娯楽=プロパガンダについては、『楽しいプロパガンダ』書評を参照)。
 ガーディアンの記事は、政治家を含めた観客に与える誤った印象の長期的な影響を、懸念している。映画は、実話を題材にしながら明白に事実に反する描写を行うことで、乗客の安全を犠牲にして、〈規制=悪〉というリバタリアン的世界観を称揚しているわけである。

 イーストウッド個人の問題はさておき、「ハドソン川の奇跡」について、私が目を開かされたものとして、スティーブン・ジョンソン『PEER ピア ネットワークの縁から未来をデザインする方法』(インターシフト、2014年〔原著2012年〕)での「ゆるやかな進歩」という議論がある。
 ジョンソンが述べるのは、「ハドソン川の奇跡」は、奇跡ではなく、ネットワークによる勝利なのだ、ということである。異常な不時着の一方で報じられずに気づかれにくいのは、こうした事故を珍しいものとしている長期的な安全トレンドなのである。サレンバーガー機長が優秀であったのは間違いないが、この着水の成功は、長い年月をかけて実現された何千もの人間との共同作業として理解される必要がある、としてジョンソンは次のように述べる。まるで映画を予見するかのような鋭い指摘であろう。

大事なのは、これが集団によるアイデアの共有、企業のイノベーション、国家予算を投入した研究、政府による規制といった数々の要因がもたらした勝利でもあるという点だ。ハドソン川の奇跡という物語を語る際にこれらの要素を無視するのは、ドラマチックな効果を狙っての話の一部を省略することとは違う。進歩というものがどこから生じるか、そして私たちがさらに進歩を生み出すにはどうしたらよいかを根本から誤解するに等しいのだ。(p.12)

【追記】(2016/09/15)

 記事題名の訳において単語“weaponize”を「武器化」と直訳していたが、分かりにくかったので、訂正。ちなみに、副題部分のみ訳して省略した記事原題の“Sullied”は映画の原題“Sully”(主人公の機長のニックネーム)と「汚す」「泥を塗る」といった意味の動詞“sully”との語呂合わせ。「汚されたサリーの物語」とでも訳すか。


【追記2】(2016/09/19)

 「155人の命を救い、容疑者になった男。」という日本でのキャッチコピーに深刻な問題を感じて、補足的な情報とともに改めて別に記事を書いたので、そちらも参照願いたい。