とくに目新しい情報というわけではないが、面白い記事。
記事を書いているノア・バーラツキー(Noah Berlatsky)は、『ワンダーウーマン:マートソン/ピーターのコミックにおけるボンデージとフェミニズム 1941-48年』(Wonder Woman: Bondage and Feminism in the Marston/Peter Comics, 1941-48, Rutgers University Press, 2015)というアメコミ研究書の著者。
大学院を中退してフリーライターをしていた彼は、自身の選択には満足する一方で、学術書への憧れを抱き続けてもいた。そんな彼は、数年前、ネット上で目にした『ワンダーウーマン』オリジナル・シリーズからの抜粋に衝撃を受け、このコミックの蒐集を開始する。やがてブログで各号の精読を連載してマニアのあいだで名の知れた存在となっていたところへ、大学出版によるコミック文化についてのシリーズ企画の話が伝わり、勧めに応じて案を提示したところ、これが採用され、彼は晴れて念願の学術書を著すことができたのである。
・・・と、ここまでは成功談なのだが、その経験から彼が痛感せざるを得なかったのは、研究のために給料をもらっている研究者と、わずかな印税を受け取るだけの自分との落差、であったのである。
時間当たりの賃率は計算しないようにした。なぜって、そんなことを始めたら、大泣きして献本用の本をあちこちに投げ飛ばして終わるに決まっているからだ。だけど、バーニー・サンダースなら僕のために憤怒してくれそう、とだけは言っておこう。
「こんなことをもう一度やるか?」と自問した彼は、二作目となる学術的エッセイを、Amazon ebook として自費出版した。エクスプロイテーション映画とジェンダー理論についての本などベストセラーにはならないし、割が合うものとなるかも分からないが、学術出版でやったら割が合わないことだけは確かなのだという。
大学出版はイデオロギー的には博士号を持たない下々の民に門戸を開こうとしているのかもしれないが、経済の現実が、それらの門を勢いよく閉じてしまうのである。大学出版が著者たちに払われている大学の給料に依存している限り、アカデミー部外者にとって学術書を書くことはとてつもなく困難となるのである。
タイトルにコロンが入って、図書館に身を落ち着かせるあの本たちは、特殊な閉じた経済システムの所産なのだ。異なるバックグラウンドの人のために棚のスペースを作るには、善意以上のものが必要とされる。必要とされるのは、お金。それが、僕が誇りに感じる初めての大学出版からの本が、僕にとって最後のものとなりそうな理由である。
大学出版の権威そのものがそれほど感じられない日本では事情もまた違うだろうが、学術書といえば、あとがきに出版助成金の話が書いてある、というのが見慣れた光景で、要するに、ビジネスモデルとしては著者の取り分どころか著者がどこからか引っ張ってくる助成金を前提としているわけで、「閉じた経済システム」という意味では変わらないのだろう(もっと悲惨だと思うが)。
バーラツキーは二作目の電子書籍自費出版に際して、クラウドファンディング・サイト Patreon によってある程度まで資金を調達した、と述べている。著者と読者の新しい関係も含めて、学術書に限らず、出版文化のあり方の今後を考えさせられる一つのエピソードとして読むことができよう。