ウォーキング・シミュレーターは映画編集の夢を見るか? 『Virginia』デモ覚書

【追記】(2016/10/16最終更新)
これはデモ版の感想です。本編の感想は、こちら
ネタバレありのストーリー解説は、こちら

 今年プレイしたなかで一番「おもしろい」と感じたゲームを挙げるなら、断然『Virginia』(ヴァージニア)のデモである。日本時刻では9月23日に発売予定(PS4、Xbox One、Steam)のアドベンチャー・ゲームの15分の無料体験版だ。スタジオ Variable State は本作がデビュー作となる。

Virginia - Cinematic Trailer

 『Virginia』は、アメリカの田舎町での失踪事件を捜査する新人FBIエージェントの女性を主人公とする、一人称視点のミステリー・アドベンチャー・ゲームである。ミステリーとはいっても、謎解きよりも、物語と人間模様とに明らかに主眼が置かれており、デモの印象からは、失踪した少年の抱えていた世界、余所者に不審の目を向ける地元コミュニティ、主人公の過去の記憶、パートナーを組むベテラン捜査官との関係、といった要素が鍵となってくるのではないかと推測される。

 これらのテーマ群や、小さな町という舞台設定、そして現実と夢とがどこか曖昧な映像世界・サウンドトラックから真っ先に思い起こされるのは、デヴィッド・リンチ監督のTVシリーズ『ツイン・ピークス』であろう。『ツイン・ピークス』の影響を色濃くうかがわせるゲーム、というのは珍しくない。古くは『ミザーナフォールズ』(1998)から、一番著名な例では『レッドシーズプロファイル』(英題=完全版名 『Deadly Premonition』、2010)まで、デヴィッド・リンチの影の下に風変りなタイトルが生み出されてきた(私はどちらも途中で放り出してしまったが・・・)。田舎町での少女失踪事件と超常現象という組み合わせとして、『Life Is Strange』(2015)を挙げてもよい。

 だが、このデモを興味深くしているのはそのことではない。
 プレイすれば誰もが気がつく、デモのゲームプレイ上の特色は、

  • セリフが一切ないこと
  • 一人称での歩き回りを基本としながら、各場面がはっきりとした編集によってつながれたシーンとして構成されていること
の二つであろう。

 もちろん、これらはあくまでデモの印象であって、このデモ自体が、ゲーム本編のどの部分をどういう形で切り取ったものか(シーンのつながり方がデモ用のダイジェストなのか、本編と同じ編集なのか)分からない以上、ここで述べられることは、デモについての感想の域を出ない。しかし、完成作品と関係なく、このデモだけをとっても、興味深いゲームの姿が提示されているように思う。

 まずは、多数の登場人物が画面に現れながら、セリフが存在しないこと。
 今年の収穫の一つといえる、やはり一人称視点のアドベンチャー・ゲーム『Firewatch』では、人物はもっぱら遠くに現れる人影としてのみ登場し、ウォーキートーキーを通じて交わされる画面上に映らない二人のキャラクターの声が、ドラマに豊かな表情を与えていた(これは、アドベンチャー・ゲームにおける「何かを見つけるたびに独り言をつぶやく主人公」問題の見事な解決でもある)。
 他方、『Virginia』デモが提示しているのは、いわば逆の形での引き算の演出であろう。ここでは言葉が廃されることで、視覚的に読み取るべき表情がいっそう謎めいて豊かなものとなっている。ゲームでキャラクターの表情といえば、多くの場合、モーションキャプチャーが取り沙汰とされてきたが、このデモは、ゲームのキャラクターに映画的リアリズムを与えるものは、綿密な演出であって、映像技術ではないことを改めて教えてくれる。

 次に、はっきりと意識される編集の存在。興味深いのは、この唐突かつ頻繁に挿入されるカットが、ゲームへの没入感を妨げるものとなっていないことであろう。
 上に「『ツイン・ピークス』っぽいゲーム」として挙げたタイトルのうち、『ミザーナフォールズ』と『Deadly Premonition』は、いわゆるオープンワールドのシステムを採用し、また、『Deadly Premonition』と『Life Is Strange』は、プレイヤーに探索の自由を与えつつ映画風のカットシーンを多用していた。対して、『Virginia』のデモが、謎めいた物語と小さな町の雰囲気とを伝えるために採用しているのは、閉じられた場面での一人称視点による自由な観察の繰り返し、というスタイルである。さながら、映画の各シーンをキャラクターの目を通して見ているような気分になる。『Firewatch』でも、唐突な暗転によって日付が変わる場面が少なくなかったが、あくまで日にちを区切りとしていた向こうに対して、『Virginia』におけるカットの時間と空間の飛び方は、より映画的である。「映画風」のカットシーンの代わりに、ここには「映画的」編集があるのだ。そして、これが白昼夢のようなゲーム全体の物語や雰囲気と見事にマッチしているのである。

 この各場面でのゲームプレイの感触は、私はあまりどこか揶揄的なこの呼称を好まないのだが、『Gone Home』(2013年)のような、いわゆる「ウォーキング・シミュレーター」ジャンルに近い。3D空間を歩き回り、モノを拾い上げる、といったシンプルなインタラクションによって、奥行きを感じさせる作品世界と、引き込まれるようなドラマとが展開されていくのである。セリフの排除、カットの多用、といった試みは、案外、このジャンルの順当な進化形ではないだろうか?

 物語は、父ブッシュ大統領時代のアメリカの閉鎖的な(明らかに白人中心・男性中心的な)コミュニティへ捜査に赴く二人の黒人女性を主役に据えている。このことが作中どのような含意を帯びてくるのか、そのあたりも気になるところ。

 Steam版にてプレイ。日本語対応。


【追記】(2016/09/25更新)

 本編をプレイしたので、一言。よい意味で、ストーリー面でもゲームプレイ面でも、予想を裏切られた(ストーリーに関する推測はだいぶ外れているので忘れて欲しい)。想像していたよりもはるかに大胆で実験的な作品である。感想はいずれ別のかたちで記したい。本編の感想は、こちら